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友達や親友になるために、約束(縛り)が必要なめんどくさい私の話2

前回、友人になる前にしばりが欲しいというような記事を書いたとき数名の人から「私は友達だと思ってたけど違うのか」と聞かれたので、まとめてこちらのnoteでお返事させていただく。

私の言葉足らずのせいで不快な思いをした方がいたなら申し訳ない。
しかし結果から行くと私の定義する友達ではない。

私にとって友達や親友は事前のすり合わせが何より大事だと思っている。
あなたはSNSで相互フォローしている全ての人を友達だと思っているか、
恋人関係には告白というすり合わせが必要なのにどうして友達にはいらないのか、1つでも相手の嫌なところが見つかれば離縁するのが友達なのか。

私はSNSで繋がったら友達なのではなく、そこから友達になれる人がいるかもしれないと考えるし、自分はホイホイと誰にでもついていく軽い女ではなく、むしろ重い女なので人と関係性を持つのにある程度のすり合わせを儀式的に行いたい。そして、相手の嫌いなところが見つかったらさようならなんて関係を友達とは思わない。

これをきいてあなたはどう思ったか。
意外と納得してもらえると思う。

私の希望から逸脱した関係を生み出さないためにも、リスク管理を重んじ、
より良い人間関係を築いていきたい。
すり合わせなしに「私たち友達だよね?」と聞かれたら「なんでそう思うの?」と返すのはそんなに無慈悲だろうか。むしろその根拠のない自信が怖い。あなたの、結婚式や葬式に私が出ると、祝儀を出すとなぜ思い込んでいるんだろう。そんな関係だったか?と思う。

なので「私は友達だと思ってたけど違うのか」の問いには、
あなたがなぜ違うと思ったのかを明確にし、そこを私と擦り合わせる必要があると考えている。
だって友達かどうかを確認するってことは、あなたの中で私の友達だっていう自信がなくなっちゃったってことでしょ?
私はクソデカ感情を友達に抱えるタイプなので愛されている自覚があるなら自信を持って欲しい。
愛がない友情なんてない。というかいらん。

恋愛の告白とやってることは同じだから、
相手の気持ちを確認するという作業は怖いかもしれない。
「あなたを友達としては見れない、妹のように見える」
そんな回答だってあり得るわけで。

価値観は私にとってのもの。あなたの価値観までは覆したいとは思わない。君らしくいて欲しい。

私の友達の定義はめっちゃ狭い。
だから友達という価値観を無理に共有する必要はない。
あなたはあなたの定義で私を友達認定したんだからそれでいいじゃないか。
それ以上のことがあるものか。
あなたの好きに友達だということにすればいい、友達の定義なんて人それぞれだ。私と同じバッググラウンドを抱えることは誰にもできない。
世の中には人間関係もリスクヘッジしたい人がいるんだ〜くらいに思ってもらえてればいい。

長くなりそうだ。ここで切ろう。
読んでくれてありがとう。

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