自分を取り戻す

note にこうやって書き連ねているのは、私にとって、ほとんどリハビリのようなものだ。この5年間、自分の気持ちを隠して、仮面をかぶって生活してきた。その結果、経済的豊かさは手に入れた反面、新しい友人はできず、心はカラカラにひからびてしまった。

だか、この note や facebook に自分の気持ちを正直に書き連ねることによって、少しずつ自己開示ができるようになってきた。それとともに、ほんのわずかではあるが、かつての闊達な心の動きが戻ってきた気がする。それはとても嬉しい。凍りついていた時間が少しずつ融けていくのを感じる。

今日は、正直に自分の仕事の話をしよう。私の職場は極めて優秀な人たちが多く働く刺激的な場所だ。基本的には仕事内容に満足しているが、実力不足を実感している。ただ、最近は、「ここまで頑張らなくてもよくね?」とも思う。世の中のたいていの場所ではこんなに優秀な人たちが揃っていることはない。人々はもう少しのんびり仕事をしている。私は周りの優秀な人たちにペースを合わせるのに少し疲れてしまった。

私は、やっぱり正直、自分より優秀な人ばかりの場所はあまり居心地は良くないのだろう。そのほうが成長には有利だとはいえ、心が落ち着かない。少しだけ、お山の大将になれる場所のほうが快適なのかもしれない(正直ベース。こういう風に言うのはかっこ悪いとは思うが)。

そういう自分が背負っている業みたいなものにあまり逆らう必要もないのかもしれない。流れに自然に生きていく、というのもありではあろう。

まあ、いますぐ、どうこうしようということではなく、しばらく様子を見ようとは思っているが。

自分にとっての理想のライフスタイルについて考えてみる。

そのとき、日本に住んでいる自分はあまり想像できない。日本に引きこもってじっとして、それで幸せ、ということはない。やはり外国に行きたい。それも旅行ではなく、住みたい。

そういう思いで11年前、私はベトナムに渡った。ベトナムでの生活は最高に楽しかったが、残念ながら経済的には恵まれなかった。結局、5年前、外国への思いを封印して、ようやく経済的に立ち直ることができた。

しかし封印は封印だ。解かれるときを待ち望んでいる。私の心もこの封印が解かれない限り、決して満足することはないだろう。

思えば極めて厄介な欲望である。海外移住癖。海外に移り住むたびに、日本での仕事や人間関係は一度リセットされるため、経済的には極めて不利なのである。しかし、そんなものに私は惹きこまれている。これが私の抱えた業なのだろう。

11年前にベトナムに行ったときは完全に無計画だった。そして経済的に行き詰まった。だから、今度海外に行くときは、その教訓に立って、最初から生活費以上の金銭は稼げる体制で行こうと思う。人は、過去の失敗から学んでいく必要がある。

引き続き、noteに自分の素直な気持ちを吐露していこう。あの生き生きとしていたかつての自分を取り戻すために。








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