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人を理解すること

今日は新宿から西武線に乗って萩谷まで行き、そこから多摩湖線に乗り換えて、一橋学園で降りた。なんとなく「女子高生の無駄づかい」の聖地巡礼風の何かをしたくなったからだ。このアニメの登場人物たちは、この西武多摩湖線に乗って通学していることになっている。一橋学園駅の周辺は西武線の沿線らしく生活感に満ちていた。

多摩湖線に再び乗って国分寺に出て、中央線で立川へ。南口に降りて立川まんがぱーくへ向かった。一日400円でマンガが読み放題という素晴らしい場所である。

ここでカレーを食べてマンガを物色した。ここは珍しく公営のマンガ図書館とでも言える場所だ。畳の上に寝転がって、リラックスしてマンガを読める。土曜日なので、館内は子供と大人たちで混雑していた。

今季のアニメの原作を何冊かざっと読んだ。その後、あるマンガが目に止まった。アンダーカレントという作品だった。人間の心理の綾を描いた作品で、まるで良質な映画のようだった。他者を理解するとはどういうことか、をテーマにしていた。

人を理解するのは確かに難しい。歳を重ねるごとにそれはほとんど不可能にさえ思える。

私もかつて結婚していた相手のことをまるで理解していなかった。拙速に結婚したのも悪かったが、本当の彼女の性格を知ったときは本当に驚いた。この作品でも出てくるセリフだが、やはり人は自分が信じたいものを信じるのみなのかもしれない。

自分や他人の本当の姿に直面するのは、本当にしんどいことである。普通に生活する大人たちが雑事を言い訳にして、向き合う面倒から逃れようとするのはむしろ自然なのかもしれない。

私はこの数年、仕事に没頭してきた。仕事は楽しかったし、いいお金にもなった。だが、私は自分の中の繊細な部分に触れることをやめ、また他者のそういう部分にも鈍感になった。その結果、人との心の触れ合いが大幅に減ったのは認めざるを得ない。

カネを稼げれば一人で生きていけるのが現代だ。だが、それだけでも人は満足できないようなのである。だが、人と親しくなろうとすれば一定のリスクを負わねばならない。そのリスクが取れずに今日も私は逡巡している。




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