見出し画像

ふたつの結婚狂想曲映画

芸術祭が好きで、この夏にも越後妻有の大地の芸術祭に行った。
関連する書籍を読む中で印象的だった話がある。

越後妻有に芸術祭の手伝いとして行った若い女性を東京まで追いかけ、「息子の嫁になってほしい」と土下座したという老人の話だ。
その息子は四十歳を超えていたという。
女性はもう、越後妻有には行けなくなってしまった。

映画「愛しのアイリーン」の舞台は越後妻有にほど近い新潟県長岡市だ。
四十歳を超えた主人公岩男は、金を払って十八歳のフィリピン女性を斡旋してもらい、結婚する。

ところで、異国から女性がやってきて、結婚を巡ってごたごたしたことになる映画を最近もう一本見た。
クレイジー・リッチ!(crazy rich asians)だ。
アジア人ばかりの演者、スタッフで作られながらも全米で大ヒットした。

※両映画のネタバレがあります

パッケージはまったく違っていて、愛しのアイリーンは新潟の田舎のどろどろした話だし、クレイジー・リッチ!はシンガポールの大富豪のきらきらした話に見える。
二本は全然違っていて、でもやっぱり似ている。

どちらも主役の、結婚する男女に金銭的な不平等や、育った文化の違いがある。
そしてどちらも一人息子で、母親は息子を溺愛している。
それゆえに嫁(候補)は辛く当たられる。
この二人の対決と和解が、物語の大きな筋となる。

どちらの映画も母親が嫁を拒絶するのは、彼女が外国人であるから、家柄がないからといったごく外形的なことからだ。
でも色々あって、内面にふれあうシーンがどちらの映画でもクライマックスとなる。

クレイジー・リッチ!でキーとなるのは麻雀だ。
言葉を必要としないゲームをしながら語り合い、二人は一瞬心を通わせる。
自身もまた姑に疎んじられてきたエレノアは、息子を思うがゆえに、真摯なレイチェルの思いを受け止めざるをえない。
その結果としてレイチェルは嫁として受け入れられる。

愛しのアイリーンでは、新潟の豪雪を前に、死にかけた母親ツルとアイリーンはやっぱり一瞬心を通わせる。
それは言葉を必要としない、むき出しの人間としての極限状態を通してのことだ。
ツルは、アイリーンの気持ちを最後まで汲むようなことはないけれど。
夏に始まったこの映画は、過酷な豪雪の中で終わる。

どちらの映画も2018年という時代ならでは(愛しのアイリーンの原作は少し古いとはいっても)の世俗を背景にしている。
クレイジー・リッチ!のヒットは「アジア人であること」を受け止めてくれる映画を求めたアジア系の人々の支持だとも言われる。

結婚は本人たちの個人的なことではなく、社会的な行為のひとつだ。
密室の恋愛関係を超えた、社会との繋がりそのものであり、だからこそ軋轢も生まれる。
アジア人であること、生まれた田舎、そうした自分のルーツが浮き彫りにもなる。
そしてとても社会的なことを語ると、逆説的に個人的な・密室的なことが浮かび上がってくる。

越後妻有の老人も、必死に考えていたのだろう。今後の息子の人生や、家の未来について。
越後妻有は緑が美しく人は親切で、水も米もおいしいよい所だ。ふらっと歩いていると「野菜を持って帰らないか」と言われたりする。出会う人は親切で優しい。でも、外側からだけでは見えてこないこともある。

今見ることに意義があり、裏返しのようにじわじわ両方の映画を見返したくなるような二本の結婚映画だった。

頂いたサポートは新しい本作りのために使わせて頂きます!