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「袋田の滝」とは何ぞや

noteで初めて文章の投稿をしますが、
これは私が調べた情報をつらつらと書いていくだけのものです。

先日、地元の名勝を調べようと思い立ち、少しばかり調べてみました。
それは茨城県大子町にある「袋田の滝」とはなんぞや、というもの。

間違っていること、言葉の足りないものにはご指摘を頂けますと幸いです。
詳しくご存知の方がいらっしゃれば、教えていただこうという下心のもと書いています。

===========「袋田の滝」の基本情報===========
茨城県北部の大子町にある「袋田の滝」:別名「4度の滝」
高さ120メートル幅73メートル。
滝の上流部にダムなどの人工物のない自然の滝。
平成27年には国の名勝に指定されている。

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●袋田の滝が存在する理由
 袋田の滝は1500万年前の海底火山の岩でできている。まっすぐではなく多少曲がりながら4段に落ちる。
滝の南約4.5キロ地点にある男体山(茨城県)から広がる「男体山火山角礫岩類」が露出したもの。滝横の月居山では火山の地層に触れることができる場所がある。
滝の東側は高く、西側は川などで削られ低くなっている。男体山でも同じ特徴をみることができる。
滝の東側に棚倉断層という断層がある。これは大陸から日本列島が離れていく際にできた東端だとみられているそうだが、確定はしていない。
平地の多い茨城県のなかで、断層により大子町は堆積盆地ができている。
(参考:茨城大学 天野一男さんの論文 茨城ジオパークHP)


●地元の人にとってどんな存在か
古くから信仰の対象だったようだ。
滝の正面に四度不動尊の古堂が残されており、江戸時代にはすでに存在していたという(管理している龍泰院や大子町教育委員会の談)
不動明王像は今では滝の観瀑施設手前の不動尊に移動されている。(不動尊は修験者が建てた可能性もあるといわれたが、水戸藩が率先して行った神仏分離などの影響か、平安時代は大子町が陸奥国だったためか、資料を見つけられていない)
昭和の初期?まで「オビンズル様」という木製の仏を滝壺へ入れ、どんちゃん騒ぎをしながら雨乞いをしていたそうだが、現在は行われていない。いまでも滝下にある滝本地区の人々は毎日お参りをし、春秋とお供えをする。
また、火伏の神様にもお願いしているそうなので、秋葉大権現も祀っているようだ。(近くの諏訪神社だろうか)
(参考:龍泰院 大子町教育委員会 大子町役場)


●なぜか人気投票1位になる滝 広く知られた理由は
1990年日本の滝百選の人気投票1位!
全国魅力度最下位の茨城県にあるのになぜなのか…。
さかのぼると、昭和2年に大阪毎日新聞・東京日日新聞が募集した「日本八景」という国民の人気投票による名勝地の選定でも瀑布部門1位。なぜ?

日本三名瀑のひとつと謳う袋田の滝。
由来については、大子町も環境省・文科省・観光庁も、三名瀑といわれる他の2つ「華厳の滝」「那智の滝」もなぜなのか把握していないという。
しかも「三名瀑」と調べると、他に三名瀑のひとつとHPに記載のある滝がある。岐阜「養老の滝」と宮城「秋保大滝」。そちらも由来は知らないという…。謎ばかりの三名瀑。
さきほどの「日本八景」では、当時の人口の1.5倍も投票があるほど日本中を巻き込んだ熱戦であったそうだ。袋田の滝は「日本八景」に選ばれず新たに設けられた「日本二十五勝」のひとつに認定された。「日本二十五勝」で滝は他に「那智」と「養老」の2つが認定されているので、そのとき三大と名乗りだしたのかもしれない…。また、同じ年に袋田駅が完成しているため、遠方から観光客が来るようになったようだ。
(参考:東京日日新聞・大阪毎日新聞 各滝の観光協会等)
 
別名は「4度の滝」。由来は、
①4段に落ちる姿から
②「空海が4度護摩修行をした」という伝説がある
③西行法師が「四季に一度ずつ来てみなければ真の風趣は味わえない」と絶賛したからなどといわれる。
書物の年代によっては月居滝と書かれたり袋田滝と書かれている。
版が変わる際に4度滝へと記載が変わっている書もあるのだが、なぜ変わったのか特定に至っていない。

「新編常陸国史」などによると、徳川光圀が遊びに来たという記述があるので黄門様が世の中に広めたのかもしれない。
水戸藩ではその後、9代藩主斉昭なども訪れている。
しかし、県歴史館などでは、江戸時代は観光という概念がないはずので、その当時に有名であったかはわからないという。
平安時代に佐竹氏の眷属が月居山に袋田城(月居城)を築いたりしているが、佐竹氏に関する資料は多くが失われていて、滝に関する書は見つかっていない。
(参考:新編常陸国史 古今類聚常陸国史 新能布乃多根 佐竹資料館)


今のところは以上のことまで調べてあります。
空海と西行法師が訪れたという記録は「土人傳」などと記載されていたため、他の記録を探していますがまだ見つけられていません。
引き続き探してみたいと思います。
他の目線もあれば、コメントいただければ調べてみます。


では、また。


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