伝えたいと知りたいと。伝えあうことからはじまること。

入院生活から看るということの大事さを感じている

ただやっている、やらされている仕事と看護していることがあきらかに違うことが伝わるものだと知れたからだ

私の看るには新人から3年間働かせてもらった病院での基盤が大きい

90代のじじに、これからどうしていきたいですか?家に帰りたいですか?と普通に疑問を投げ掛けたとき、彼はもうここで死ぬんだろうと思っていたため未来のことを聞かれて驚いたようだった

尊厳死協会に入っていた方の最期がみえてきたとき、食べれらないけれど生きるために点滴をしないといけないけれど、血管も細くて何度も失敗することが続き、痛みを泣きながら耐えている姿から、尊厳死とは何なのか話し合い点滴は三回トライまで。それ以上苦痛なことはしないようにととりきめた。彼の想いに寄り添えたこと、今そこにある命について考えたり、医療の限界を肌で感じただった。そして、看護師の技術ひとつが命にも繋がることを実感した

時には、私はこの土地で死にたいとわざわざ搬送された病院から転院してくる方もいた。地元や地域性、土地や場所への思いからその人の生活史を強く意識した

病気とともに沢山の人生を学ばさせていただけたことは、私の今でも価値だと思っている。

病気になると、やさぐれる。
心がついていけない人も多く理解されないもどかしさから、色んなことと戦っている。会社や仕事にも人間にも病気の捉え方が間違っている医療者にも、自分自身にも。日々ファインティングポーズをとっている人が多いことがわかる。だけれど、何だかとてつもなく寂しさも感じる
そんなに無理しなくて良いのではないのか
もっともっと力を抜いて生きても良いのではないのかと

看る側から看られる側に変わって
今まで患者に寄り添えていると思っていた。でも、全てなんてわかるわけがない。伝わることも伝えることも難しい。わかりあうために言葉を交わすのだと、自分が何も理解していなかった、理解しているつもりだったと恥ずかしく思った

これは看護だけでなく、人間関係のコミュニケーションとしてでも同じだと思う。

私は人の気持ちを顔や仕草や声など色んなのものからいつの間にか読み取ってしまい勝手にこうだろうと考え、問いかけて聞くことをあまりしなかった。それは間違いだったと今週何度も感じた。ただ、確認してわかることの楽しさだけでなく、嫌な感情が当たることをしたくなかったのかもしれない。自分を守った臆病者なのだ。

人から人に伝える、伝わる言葉。コミュニティ。コミュニケーション。会話を通すことで雰囲気は生まれていくし、目には見えない人と人との繋がり、知っているということからはじまり信頼や安心感が深まる

人はどんな人でもまるごと理解はできないからこそ、知りたければたくさん聞き、知ってほしければたくさん伝えていく必要があると思えた。素直にまっすぐに無理せずに。

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