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今日このあとビルらない?

 去年末くらいのことであるが、職場のお偉い上司が小松川高校出身と知って驚いた。

 小松川高校とは平井駅南口から徒歩約20分という、とんでもなく通学しにくい位置にある進学校である。このあたりの高校では珍しくセーラー服の制服で、私が物心ついた頃から一度も変わっていない。上司に訊いてみたら、上司の時代から変わっていないという。うっかり制服の話を持ち出してしまったものだから、そのあと小松川高校の制服に関するウンチクを聞かされることになったのだが、右から左に受け流しすぎて全く覚えていない。

 小松川高校は通称「こまこう」と呼ばれ、ここに通う学生達の起こす問題は平井市民の噂話のエンタメにされてきた。上司も自分が起こした問題を過去の栄光のように繰り返し何度も語ってきたが、こんなに何度も聞いたはずなのに、恐ろしいことに何も覚えていない。

 ところが、上司の話で一つだけ、興味深い話があった。

「平井ってさ、たまり場がないだろ? 公園は小さい子で溢れてるし、喫茶店みたいなのは年寄りだらけでさ。学生が行くところがないから、そこら辺でたまるしかなくて、だから喧嘩になったり、素行が悪くなるんだよ」

 なんでたまり場がないからって学生の素行が悪くなるのかは全くもって意味がわからないが、この「たまり場がない」は意外な視点であった。

「たまり場かぁ。考えたこともなかったですねぇ」

「そりゃ平井に住んでたらたまり場なんていらないだろ。あの町、不思議だよな。みんな人んちに集まるから、外から来た人は行くところがないんだよ」

 なるほど。そのとおりである。平井に住んでいるのだからたまり場なんていらないし、集まりたくなったら友達の家に行けばいいのだ。

 さらに驚くべきは、私は大人になった今でも同じような生活をしている。平井の本棚でたまり、平井オープンボックスでたまり、人の家でたまっている。たまり場を外に求めたことがない。

 上司との会話のあと、私は記憶の限りを思い返してみた。本当にたまり場はないのか?

 一応平井にもファストフード店もカラオケもカフェもある。(上司の時代はわからない)。しかしなんと言うか、「たまる」場所じゃないのだ。

 ここで私は一つ、重要なお店を思い出した。

 平井駅南口から商店街を3分ほどまっすぐ行くと、ガストがある。このガスト、今から15年くらい前はビルディであった。

 そう、ビルディ。今はもう知っている人はほとんどいないかもしれない。ガストを経営するすかいらーくグループのブランドのひとつであった。

 ビルディは繁華街の駅前を立地にした都市型のファミリーレストランがコンセプトとして1都3県に2006年時点で54店舗存在していた。つまり平井は繁華街であり、都市であると認識されていたわけだ。すごいぞ平井!


この謎のおじさんが目印だった

 ビルディは2006年に全店舗ガストになることが決定し、平井も例外なくガストになった。それが今もあるあのガストである。

 私は高校時代に小松川地域でバイトをしていたのだが、一緒にバイトをしていた仲間も平井の人間が多く、バイトが終わったあとによくこのビルディでまさしく「たまって」いた。バイトの終わる時間は21時だったので、さすがに人の家にあがってたまるわけにはいかない。

 いつからこの言葉を使いはじめたのかわからないが、当時、ビルディでたまることを「ビルる」と言っていた。バイトの終わりにはよく、「今日このあとビルる人いる?」と誰ともなく声が飛び交ったものだ。「ビルらない?」「ビルろうよ」など、年齢関係なく使っていた。

 他の地域、いや、他の平井の民のみんなはどうだったのだろう? ビルディがなくなってしまった
今、確認するすべがないのが悔しい。

 なんにせよ、平井にたまり場はあった。この事実に私はなんだかとても満足してしまった。上司が学生時代の頃はビルディはなかったらしいが、そんなことはどうでもいい。

 ビルディがなくなって、「ビルる」という言葉はこの世から消えてしまった。いち企業の決定が、日本語から一つの動詞を抹消したのだ。もしもビルディが日本全国に繁栄していたら、「ビルる」は広辞苑に、いや、海外出店を成功させていたら、世界共通語になっていたかもしれない。実に壮大な話である。がしかし、ありえないとは言い切れない話である。

 じゃあ「ガスる」という動詞は存在するのかといえば、存在しない。だってなんだか語呂が悪い。使いたくない。言いたくない。「ビルる」の方が、なんかエレガントだ。「ガスる」はきっと広辞苑に載ることはないし、世界共通語にもなりそうにない。

 ああ、なつかしのビルディ。それは都市型のチェーン店でありながら、田舎の心を持つ平井の民の憩いの場であった。多分それがビルディ最大の欠点であったのだろう。都市型が平井の民の心を掴んではいけないのだ。平井の民の心を掴むようでは、都市型とは言えないし、繁華街では生きていけない。

 現在のガストは、ビルディ時代と席配置もほとんど変わっておらず、ドリンクバーなどの位置もそのままである。

 さあ、みんなでガストにたまりに行こう。懐かしいビルディの残り香を探しながら。

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