「物理的に遠く」のパワーに、日々助けられている。

久しぶりに「食べて祈って恋をして」を観た。異国の地への長い逃避と自分探しの旅の映画だ。私も20代の頃、同じように全てから逃げ出して、自分探しの旅へ1ヶ月出たことがある。「自分探し」と言えば少しは聞こえがいいけれど、私の場合は、全てから離れて、逃げて、物理的に遠くへ行った時に何が見えるのかを知りたかった。タイミングよく、インドに「家に泊まっていいよ」と言ってくれる信頼できる先輩もいて、「インドに行きたい」と言う友人も現れ、インドからタイ、カンボジアと旅をした。

物事というのは時に、複雑に絡み合ってしまって、本質が全く曇って見えなくなってしまうことがある。仕事でも、恋愛でも、そのほかの人間関係でも、そして自分自身のことも。

そんな時、出来るだけ「物理的に今いるところから遠く」へ行ってみる、ということが、実現可能ならば、やってみると、良いと思う。

物理的に遠くに行ってみると、驚くほど「自分はどこへ行っても自分のまま」であることに気づく。そして、ボロボロと悩みが遠くに離れていくにつれ、溢れていくような感覚になる。見えてくる景色が、今までとは違う、異世界であると、特にその感覚は強まる。

そうすると、「自分はどこへ行っても自分なのだから、このままの自分を受け入れて、また現実に戻って、一つずつクリアにしていこう」と踏ん切りがつくのだ。

子育て中も、一度自分を芯から見失った時があった。軽度のうつ状態になっていかもしれない。なかなか寝てくれない娘に疲れ果てて、自分自身も寝不足だったかもしれない。とにかく心の箱から、いろんなものが溢れ落ちそうだった。朝が来て、夫に娘を渡して、「少し出かけてくる」と小さなバックにスマホとお財布だけ突っ込んで、出て行った。行き先は一つだけだった。いつも悩んだ時に行っている片道2時間の海。

物理的に遠く、というと、本当ならば海外に行けてしまうと手っ取り早いのだけれど、子育て中はそうはいかない。

電車に飛び乗って、30分したころ、泣き叫び、気が狂いそうだった心から、ボロボロと何かが剥がれていく感覚がした。だんだん正気を取り戻して、1時間する頃には、「海に行かなくても大丈夫かも。帰ろうかな」と思うまでになった。1時間電車に揺られるだけで、救われる心もあるのだ。

誰かに聞いてもらったり、日記に書き出したりしても、どうにもならない時、私は物理的に遠くに行くことにしている。物事とは、近くからではとんでもなくハードに見えるのだけれど、遠くから眺めると、小さなことだったりするのだ。

一度遠くに行く経験をしてから、海外まで行かなくても、「海外に行ったような気持ちの遠さ」も得られるようになった。もし、今、海外に行ったら。と想定するだけで、心がすっとしたり、「今」が輝いて見えるようになった。

「物理的に遠く」のパワーに、日々助けられている。






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野中エミ

2019年日記

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