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熊野(世界遺産)

企画の経緯

熊野三山と言われる熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社の三社のうち、熊野本宮大社が最後に残っていた訪問先でした。神武東征の舞台の一つ、必ず訪問したい先です。


旅程

アクセス

▼大阪>紀伊田辺>熊野本宮
和歌山までと和歌山の移動を分けて、長距離移動の大阪駅から紀伊田辺までバス利用、和歌山県内は紀伊田辺でレンタカーでの移動としました。

目的

・熊野古道(世界遺産)、熊野本宮大社の訪問


旅の内容

熊野三山の位置関係、今回は紀伊田辺からレンタカーで熊野本宮へ向かいます。

熊野三山と本宮への入り口、紀伊田辺の位置
左上から右回り:熊野本宮大社社殿/熊野本宮大社旧社地「大斎原」大鳥居/神紋 三つ巴/大斎原(おおゆのはら)明治22年の洪水以前の絵図/八咫烏の像

熊野本宮大社・大斎原(おおゆのはら)

熊野本宮大社は移転している、となんとなく聞いたことがあったのですが今回訪問してきちんと認識できました。
本宮は階段を上がったところに鎮座しているのですが、思ったよりも新しくすがすがしい社殿です。

社務所で護符についての説明あり。カラス文字の護符はミーハーですが、かっこいいですね。読み替えがないとわかりませんが。「熊野」はなんとなくわかるかな…

カラス文字

翻って、熊野川と音無川の中洲にある大斎原は、大鳥居の存在感に引き込まれるように進むと、旧社地を歩くことができます。中州の森にかかる大鳥居には八咫烏の神紋がくっきりと輝き、当日の小雨の天気と相まって不気味な神々しさをもった雰囲気が漂います。大斎原は、独特の気配があるところだと思いました。

熊野古道(世界遺産)

道の世界遺産は日本の「紀伊山地の霊場と参詣道」とフランスとスペインにある「サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路」の世界に2種類となり、共通巡礼手帳、なるものが観光案内所で設置してありました。遠くヨーロッパとつながる面白さもあり、目にとまります。
巡礼達成には各々〇〇(熊野古道は徒歩のみ)で〇km以上などの条件があるのですが、走破される方には楽しみになると思います。


旅を終えて

ずっと訪問してみたかった熊野本宮大社。熊野那智大社、熊野速玉大社から訪問が遅れて10年以上経過してしまいましたが、やっと参拝できました。

以前より記憶に残っていたのは友人が持っていた御朱印帳が熊野本宮大社のもので、濃紺の地に八咫烏の神紋と本殿の屋根が織ってある意匠です。御朱印帳の表紙から神々しい気配があふれていたのを憶えています。

時にコロナ禍において、立派な狛犬にスタイリッシュなマスクが付けられているのも微笑ましく、念が届く思いがしました。

狛犬マスク

本宮へ到着した際に地図を確認したところ、近くに奈良県十津川村の玉置神社をみつけたので足を延ばそうかと考えましたが、やはり山深いところですので今回はあきらめました。

熊野本宮が奈良の県境近くだということをその時初めて知った状態で、私は近畿に住んでいるけれども、まだまだ紀伊半島の多くを知らない、紀伊の山深さをさらに認識した旅でした。

以上


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