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夫の定年退職

今日をもって、夫の37年間に渡る「勤め人」生活が終わる。この37年間の間には、以前の勤め先が吸収合併されたこともあり、一回り大きくなった新しい職場で心機一転がんばらなきゃいけないこともあった。なかなか波乱に満ちた人生だったけど、今の職場では「外様大名」の立場でありながら、最後は「部長職」にまで昇りつめた。

今時、定年退職まで、同じ仕事一筋で生きていくことは、とても珍しいことなのかもしれない。何度も「辞めたい」「仕事に行くのが嫌だ」と泣いていたけど、夫は、仕事を通して「人間性を磨く」「徳を積む」ということに取り組んできた。仕事は男性にとっては「自分を磨くツール」だと思う。夫は日々の仕事を誠実にこなし、父性の愛をもって仕事をしてきたようだ。コツコツと石垣の石を一つ一つ積み上げていくような日々だったけど、「大器晩成」型の夫は、少しずつ周囲の信用を得ていき、部長に昇進した頃には、多くの部下の皆さんから信頼され、外部の関係者の皆様から愛された。そして、定年を迎えた今、多くの人々から「退職」惜しまれたようだ。「終わりよければ全てよし」という言葉があるけど、夫を囲む皆さんの反応を見て、「夫が歩んできた道のりは正しかったんだな・・・」と、そうしみじみと感じた。

惜しまれて、いろいろ引き留められたりもしたらしいけど、夫は潔く今の職場を去って行く。そう自分で決めたようだ。

ずっと命懸けで頑張ってきたから、悔いは全く無いらしい。定年はちょうど良い区切りだから・・・と、いつまでも過去に未練を残さず、さっぱりと「立つ鳥、跡を濁さず」で去って行きたいらしい。

うん、私もそれで良いと思う。これは夫の人生だもん。主役である夫が自分で決めれば良い。

そして私は、一人の男性(夫)が、責任ある仕事に就き、仕事を通して「人として成長していく」様を間近でずっと見てきた。夫は昇進していく度に「自分には重すぎる。自分には無理だ。」とよく弱音を吐いていたけど、いざその役職に就いたら、その役職に見合う人物になろうと努力してきた。それは、「偉い人」になることではなく、自分の心にべったり貼り付いていた「エゴ」と「プライド」を引き剥がし、自分の心を何ものにも捕らわれない自由で軽快な心になるようにしたことだ。仕事を通して精進し、自分の「心の器」を更に大きく広げることに努力してきた。器を大きく、懐を深く・・・。昇進して重い立場の役職に就く度に、夫はどんどん心を軽くし、徳を積んでいった。そして安心感を与える人物へと成長していった。

仕事を通して、様々なことを体験してきたけど、その全てを「自分の心を成長させる糧」にしてきたことは、夫の素晴らしいところだと思う。本当に良く頑張ったよね。私も出来る範囲で影ながらサポートしてきたけど、今の夫を見ていると、自分自身に対しても「よく頑張ったね~」と自分を労ってあげたくなる。「陰徳を積む」という言葉があるけど、夫が成長し活躍してくれることで、私の陰の取り組みと努力が報われたような気持ちになった。辛く苦しいときは支え合い、助け合って、それぞれの持ち場で奮闘して「自分を磨く」ことに精進した・・・そんな日々だった。

最後の出勤の朝。いつもと変わらぬ、普段通りの朝。「なんだか不思議やなぁ。本当にこれで定年退職?全然、実感がわかないなぁ・・・。」そんなことを言いながら、夫はいつものように家を出て行った。

そして私も、まさか夫が定年を迎えるなんて・・・夢みたいだなぁ~と思った。今までと変わらず、私たちは私たちのままなのに、肉体の年齢だけが積み重ねられ、「定年」という人生の節目を迎えている。

今日は、夫は定年退職の辞令をもらい、その後は、今までお世話になった方々のところへ行き、挨拶回りをするらしい。引き継ぎは済んだとのこと。まだやり残した仕事がいくつか残って居るみたいだけど、もうタイムリミットなので、次の新部長さんに全て託したそうだ。

夫にとっての今日3月29日は、きっと清々しく晴れやかな一日となるのだろう。フルマラソンを走りきった選手のように、正々堂々と今日を迎えて、爽やかな気分になっているのだろうな~と思った。

そして私は、いつもと変わらず、家事をして、散歩して、今こうしてnoteを書いている。

今日のこの日のことを、これから先も続いていく「私たちの人生」の未来のどこかで、ふと思い出し、胸を熱くし懐かしく感じるのだろうか?

ううん、きっと未来の私は、未来の自分のことに集中して取り組み、それなりに人生を楽しんでいるだろうから、過去を振り返ってメソメソすることは無いだろうな・・・と思う。

そう、「定年退職を迎える」という経験は、長い人生の流れで見れば、ただの通過点に過ぎない。確かに「還暦」が絡んでいるから、ちょっと特別な節目ではあるのだけど、定年がゴール(目的)では無いのだ。大切なのは、どんな定年を迎えられたか?の部分。定年を迎えたとき、自分はどの世界に至っていて、心はどこまで成長できたのか?・・・ということ、ここが大切なのだと思う。しかし、私たちはその目標をほぼ達成できた。だからとても満足しているし、未練も悔いも無い。在るのは「やりきった」という充実感。でも、この充実感を元金にして、また新しいことに挑戦していきたい。人生100年の時代だもの、ここで立ち止まっている暇などなく、私たちは、まだまだ現役で生きなくてはいけないのだ・・・。「済んだことは済んだこと」として割り切り、過去では無く、一歩先の未来を見据えて、私たちは生きていかなくてはいけないのだ。

でも、今日はとりあえず「お疲れ様」と声を掛けよう。よく頑張ったね・・・と。完走した者しか見えない風景を、今、夫は見ている。その世界を、その心の境地を、夫に語ってもらおう。体験した者しか分からない世界・境地。それを夫から聞かせてもらって、私も疑似体験で味わってみたいなと思う。

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