見出し画像

エゴの共食い

この娑婆は、皆がエゴの共食いをしながら生きている世界だ。

愛なのか?エゴなのか?

その境界線は非常に曖昧である。「愛」なのか「エゴ」なのかサッパリ見分けがつかないまま、人は確信に満ちた表情で「愛」を語り、愛に見せかけた安っぽいパッケージで「エゴ」を包み隠し、勿体ぶって丁寧に自分の「エゴ」を他人に押しつけながら、優しい言葉を吐き、優しく抱きしめ、その代償として人から「愛」を搾取するのである。

そう、「愛」と思い込んでいるものは、実はそのほとんどが「エゴ」でしかない。

「愛」が枯渇すると、その代わりに「エゴ」が心の奥から吹き出てくる。

溢れてくる「エゴ」を「愛」だと勘違いして貪り食い、「エゴ」で腹を満たし、生臭い息を吐きながら、まだ飢えているんだ、もっと食いたい、もっと食いたい・・・と、エゴの臭いをプンプン撒き散らしている者同士、嗅覚を頼りに嗅ぎ分け、見つけて、捕まえ、しがみつき、また食らいつく。

まさにエゴの共食い。

三毒にやられた人間の世界。

六道をぐるぐると彷徨い歩く人間たちの煩悩。

食っても食っても腹が満たされないことへの怒り。妬み。

どこまで食らいついても辿り着けない救いの境地。

これが娑婆。

こんな世界はもう御免だな・・・と思いつつ、今日も私は娑婆を生きる。

人間として生きることは、本当に大変だ。

エゴを食い尽くす世界を抜け出して、解脱できたら・・・と常々思う。

おいおい、何を言っているのだ?人として生きると言うことは、こういうことだろ?・・・と、自分の中にいる餓鬼が笑う。

「餓鬼」も「畜生」も「修羅」も・・・全て、私たちの腹の中にいる。

そして、共食いして飲み込んだ「エゴ」を餌にして、奴らは生きる。

これが「人間」として生きるということ。

いろんなものを腹に抱えながら、私たちは生きる。

真実の愛を求めて。

エゴに傷つき、エゴに苦しみ、それでもエゴをむさぼり食らい、エゴを吐き、エゴを叩きつけながら。

愛に触れて、愛を知るために・・・。

「本当の愛とは何か」を学び掴むために・・・。

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートは旅の資金にさせていただきます✨