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2回目の「あいちトリエンナーレ2019」~ただ見て感じる。現代アートに触れる~

先日、また名古屋に行ってきました。

先月末に訪れたけど回りきれなかった『あいちトリエンナーレ』を再度見るためです。前回は時間がなくてバタバタしていましたが、今回はゆっくり見て回ることが出来ました。

「政治は可能性の芸術である」
「政治は科学(science)ではなく、術(art)である」

ビスマルクのこんな言葉から始まる、今回の「あいちトリエンナーレ2019」のコンセプト文。以下↓、芸術監督の津田大介氏によるものです。

(実は、この時、愛知芸術文化センターの会場で、津田大介氏をお見かけしたのですよ。テレビの取材だったようで、ジャーナリストの大谷宏昭さんを案内していらっしゃいました。至近距離でバッタリだったので、本当にビックリしました。)

これを読んでみると、改めて「実は最初から『政治的なメッセージ色が強い美術展』になっていたのかなぁ・・・」と感じます。

イデオロギーのぶつかり合いは「対立」しか生みだせない・・・というのが私の持論なんだけど、こうした公共性の強い展覧会で、今回のような政治色を前面に出した作品を展示したということが、ちょっと問題だったのかな・・・と思ったり(汗)。

私は「現代アート」については専門じゃないので、現代美術の定義は何で、どういう作品が正道で何が邪道か・・・そういうこともよく分かりません。政治色の強いアクのある作品こそが現代アートの真骨頂なのか・・・も、私はさっぱり分からないのですが、私はここで様々な作品をたくさん見て、素直に「とても良かった」と感じました。

ですので、以下は、単純に現代美術の素人が鑑賞して感じた「素直な感想」を述べますのでご了解くださいませ。

(前回買った一日券を提示して追加で1,400円支払い、フリーパスを手に入れました)

まずは名古屋市美術館へ。こちらは、愛知芸術文化センターより作品数は少ないものの、その分、メッセージ性の強い作品が多かったように感じました。展示を見て回るうちに、私の価値観や感覚が刺激を受けて、大きく揺さぶられるのを感じました。

今回の「あいちトリエンナーレ2019」は、国家や民族、文化や宗教、家族、血縁、地域、政治体制、ジェンダー、障害、社会通念・・・等々。そうした、長い間、私たちを結束させ縛り付けてきた「枠」に疑問符をつけて、「普通に当たり前だと思っているけど、本当にこれらは当たり前の事なのだろうか?」と、私たちの心に静かにそっと問いかけてくる・・・そんな作品が多かったです。また、民族紛争や差別偏見、ジェンダー問題などを提起する作品もたくさんありました。

こうした展示を見ていると、それぞれの頭の中にこびりついていた「固定観念」や「既成概念」の存在に少しずつ気づかされていきます。そうした固い「枠」がグラグラと揺さぶられ、亀裂が入って割れていき、「自分の意識」と「枠」が分離されて、素の自分に引き戻され、そこに「新しい視点」が植え付けられていくのです。とても不思議な感覚。すごく刺激的で知的好奇心が大いにくすぐられました。

2回目を見に行ってみてしみじみ感じたのは、「ここに展示されている作品は、近代から現代にかけて世界の至る所で人々が生きてきて感じたこと、時代の中で体験したこと、人々の意識と価値観、社会が大きくうねりながら変化していく様を、その空気感ごと『芸術』という形で具現化し表現したものだ・・・・」ということ。

つまり、社会の実態や現状を、アーティストの視点で切り取り、それを芸術として表現している・・・ということです。そうした作品がこの会場に集められ、一同に展示されていたわけです。ですので、これらの作品が「良いか?悪いか?」と自分の主観でジャッジし、白か黒かを決めつけることは止めるべきだし、とりあえず、一つの「作品」として見る、そして感じてみる。受けとめてみる。それが今はとても大事なのではないか・・・と思いました。

1回目の時は、「マスコミの情報」が私の中にフィルターとなって残っていて、変な先入観をもって来てしまったのだけど(グロい作品ばかりじゃないかとか、勝手に脳内でモンスター化していました・汗)、実際に訪れてみたら、至って普通の美術展であり、いろんな手法の様々な作品が展示されていて、単純に興味深く面白く感じました。

あれ?普通の美術展じゃん・・・という感じ。これを見ないのは本当に勿体ない。是非、多くの人に見て欲しいとも感じました。

ただ、今回行ってみて残念だったのが、先月末には公開されていて見ることができた作品が、アーティストからの申し出により、展示が中止になって見られなくなっていたところ。そういう場所がいくつかあって、作品が少しずつ減ってきている・・・という印象です。いろんな思いがあっての展示辞退だと思いますが、私は残念だなぁ・・・と思いました。

そういうことも含めて、このトリエンナーレの運営組織の皆さんには、今回の一悶着を真摯に受け止め、アーティストも観客も皆が安心して参加できる祭典になるよう、誠実に努めてほしいなぁ・・・と強く感じました。

◇◇◇

名古屋市美術館で、すごく心に残った作品。下は青木美紅さんの作品。部屋の全てが造形作品です。この会場のスタッフさんに聞いたら「撮影も動画もOK」だったので、許可を得て撮りました。

「命」と「生きる」。とても可愛らしい雰囲気の作品なのですが、だからこそ余計に、そのかわいらしさの裏に隠された「人間のエゴと執着」の生々しさを強烈に感じて、魂の深い部分を掘り起こされたような・・・そんな不思議な気持ちになりました。

◇◇◇

こちらは、愛知芸術文化センターの8階にある展示。映像作品です。

ユェン・グァンミンさんの作品。台湾の日常演習の様子をドローンで撮影したもの「日常演習」と、遊園地が爆破されて壊れ、また再生して、また破壊される・・・を延々と繰り返す映像「トゥモローランド」。この二つです。

どちらも非日常的で、不思議な感覚に陥ります。淡々とした内容なのに、繰り返し見続けても全然飽きないのです。

(前回、1回目の時、すごく衝撃的で心惹かれたのですが、時間が無くてゆっくりして居られず・・・。そこで今回はじっくり見ることができました。)

◇◇◇

平日だったこともあり、会場内は割と静かでした。

この扉の奥・・・。見てみたかったなぁ・・・というのが正直な気持ちです。

名古屋のテレビ塔。

この日は、名古屋市美術館と愛知芸術文化センターの2会場を回りました。

あと残り2会場(豊田市と四間道・円頓寺)を回れば全会場コンプリートなんだけどw、それにはあと1~2日はかかりそうです(汗)。

それにしてもなぁ・・・。あの炎上事件がなかったら、私はわざわざ見に行くことはなかったと思うのです。炎上のお陰で「あいちトリエンナーレ?それってどういうものなの?」と興味を持つようになり、それで見に行ったのです。そして見事に現代美術にはまったのですから・・・ねぇ。ご縁とは不思議なものです(笑)。

まだ来月(10月14日)まで開催中なので、また時間を見つけて出かけてみよう・・・と思いました。

自分用に買ったサコシュ。お散歩のお供にします♡

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