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昭和が終わった朝

今日は2019年1月7日。

そう、30年前の今日、昭和天皇が亡くなられたのだ。

あのときの私は20歳になったばかりで、大学2年生の冬休み中だった。

ぼんやりと覚えているのは、朝、起きてテレビをつけたら、天皇陛下崩御のニュースをやっていて、「ああ、お亡くなりになられたんだ・・・」と感じたことだ。前日に帰省先の実家から名古屋に戻り、その次の朝、天皇崩御のニュースを見た。「歴史に残る大きな出来事」と「私の人生」がリンクした瞬間・・・。確か当時は年末頃から「容態が思わしくない」というニュースが流れていて、社会全体に自粛ムードが広がっていた。皆が何となく心の奥で天皇陛下のことを気にかけていたのだけど、「亡くなられるかもしれない」という実感はあまりなかった。むしろ、この状態がまだまだ続くのだろう・・・と思っていた。ところが、ご様子が良くないというニュースが流れて一ヶ月ほどで、突然、崩御のニュースに変ったのだ。昭和という時代は戦争もあり社会的に非常に重苦しいものを抱えた時代であったけど、その幕切れは、意外とあっけなくあっさりしたもののように感じられた。

そのとき、私はテレビのニュース画面を見つめながら、「この日の出来事は私は一生忘れられないだろうな・・・。いや、この日のことは、私の記憶に刻み込んでおかなくてはいけない・・・」と心から思ったのだった。

あの朝、薄暗い部屋の中で、私は時代の大きな流れを感じていた。外はどんよりとした鉛色の曇り空で、北風が冷たい冬の日だった。

◇◇◇

崩御のあと、しばらくの間は日本中が喪に服する雰囲気に包まれていて、人々の意識も暗く沈んでいた。社会も人々も「昭和」から「平成」へと移り変わるには少し時間がかかったことを覚えている。

◇◇◇

「昭和」が終わって少し経った頃、私は好きだった人と別れた。

そして、社会人になってから「平成」で出会った人と私は結婚し、子供にも恵まれ、その子供も成人して社会人となり、親の手を離れていった。そんなちょうど区切りのいい時に、今度は「平成」が終わる。思えば、私が20歳の時に「昭和」が終わって「平成」となり、次に50歳になったとき「平成」が終わり「新元号」となるのだから、私はなんとキリの良い女なんだろう(笑)。

私の中にある「平成」30年間の思い出も記憶も全て一区切りつけて、ここから先は、未来思考で自分をアップデートさせなくては・・・と思う。

バイバイ平成。

いろんなことがあった30年間だった。良いこともあったけど、辛いこともたくさんあった。泥臭く這うようにして生きてきた日々。なかなか濃くてハードな日々だったよ。でも、この平成時代を生きたからこそ、今の自分がある。この30年間の間に私は強くなった。そして、人生というものを悟った。

あのとき、20歳の私は、薄暗い部屋の中で、ブラウン管に映る崩御のニュースを見ながら、

「次の新しい元号の時代で、私はどんな人生を歩むんだろう・・・。そして、次の元号の時代が終わって、また次の新しい元号の時代が来るとき、私はお婆ちゃんになっているのかしら?そのとき、私は、どこで何をしているんだろう?私はちゃんと生きているんだろうか?」

・・・と思っていた。

漠然と自分の未来に「美しい希望」を描いていた。でも、その一方で「不安」と「心配」も抱えていた。複雑な心境・・・。

でも、この若さをもっていけば、何でも叶えられると信じていた。

そんな私が崩御のニュースに触れて、ぽつり

「今のこの20歳の自分の気持ちを、決して忘れないように心にしっかり留めておこう・・・」と思った。今の自分の感性もフィーリングも全てしっかり記憶して絶対に忘れないようにして、未来の自分に渡したい・・・と思った。

もう戻らない日々。甘く切ない思い出たち。

◇◇◇

あれから30年。私は生きている。

あの頃よりたくましく、図太く。健気に・・・。そして明るく、繊細に。

そう、私は大丈夫、頑張って生き抜いたよ。なかなかキツい30年間だったけど、通り抜けてみたら、なかなか面白くて充実した平成時代だったよ・・・。

そう、あの頃の私に伝えてあげたい。

若かった私もしっかり抱きしめて、私は今生きている。この時代を・・・。

記憶の奥底にポッカリと取り残してきた私の残影。

あのときと同じ鉛色の空を眺めながら・・・。

懐かしい記憶に包まれながら。

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