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いのちをいただく

写真家であり狩猟家の幡野広志さんの写真展「いただきます、ごちそうさま。」を観てきました。

幡野さんのことは、noteで初めて知りました。

そして、この記事↓を読ませてもらったとき、「是非、この写真展を観に行きたい!」と思いました。

ちょうどこの開催時期中に、私は上京する予定がありました。

写真展が開かれるギャラリーを調べてみたところ、東京駅から程よい距離にあり、寄ってみるのにとても都合がよい場所でした。そこで東京に着いてすぐ、行ってみることにしたのです。

田舎者の私には、こんな小さなことも大冒険です。

東京駅から総武線に乗り換えて、新日本橋駅で下車。あとはGoogleマップの指示に従い、細い路地に入りながらテクテク歩きました。

ここです。

なかには、平日にも関わらず、結構たくさんのお客さんがいらっしゃいました。

見ると、20〜30代くらいの若い人が多いようです。

会場に入ると、スタッフの方から写真の説明を聞き、入館料を払います。

この日は結構蒸し暑かったので、最初にソフトドリンクをいただいて喉の乾きを潤してから、じっくり鑑賞させていただきました。

話は変わりますが…。

以下は私の独り言です。戯れ言だと思って読んでください。

実は、私は長野県の諏訪大社が好きで、特に上社の前宮の雰囲気が好きです。

一度行ってから、その虜となり、その後、諏訪大社には何度か訪れています。

初めて参拝で訪れたときから、特に前宮は私のお気に入りの場所になりました。

あの前宮の雰囲気は、私が住んでいる岐阜県の飛騨地方に似ていて、子供時代によく遊んだ神社のお旅所に似た風景が広がっています。

そのため、初めて訪れたにも関わらず、昔から馴染みのある懐かしい雰囲気を感じました。

ちなみに諏訪大社は、上社の前宮と本宮、そして下社の春宮と秋宮、これら合わせて全部で四つの社があるのですが、そのなかでも何故か私は前宮に心が惹かれます。

あの場所だけ、神話の神様とは違う、もっと古い時代の古代の土地の神様が祀られているような…そんな感じがしました。

立て札には、タケミナカタノカミとその妻であるヤサカトメノカミ、ご夫婦の神様が祀られていると記されているのですが、前宮だけは違う次元のエネルギーを感じるのです。

それがずっと私のなかで不思議でした。

ところが、その謎が解けました。

この上社の前宮では、明治の時代まで、縄文時代からの名残を残す祭りが行われていたのです。

山で狩った動物を神様にお供えするという祭りで、鹿の首を神様に捧げ、直会では神様と一緒にお供えした動物の肉を氏子が皆で食するというものです。

それについて詳しく解説しているのが、神長官守矢資料館です。

諏訪大社上社の前宮と本宮のちょうど中間くらいにあるこの資料館では、この土地に古代から伝わるミシャグシ神信仰を紹介しています。

諏訪大社を参拝するとき、いつも通る道に、この神長官守矢資料館があったので、ずっとこになっていました。

それで、昨年、思いきって入ってみたのです。

すると、壁一面に多数の鹿や猪の首のレプリカが飾られ、その他の供物など神事の様子をが再現した展示物が素晴らしく、圧巻でした。

大和朝廷が日本中を制圧する前、私たちの祖先は縄文の信仰をしていました。

それがミシャグシ神です。

ミシャグシとは山の神であり、シャーマニズムであり、古神道の流れをくみます。

そして、この諏訪湖の周辺では、古代、大和朝廷に制圧された後も、今の神社神道とは別に(当時の国家権力に暗黙の了解で許される形で)、ミシャグシ信仰が脈々と継承されており、その祭事を取り仕切っていたのが、守矢さんの家系だったそうです。

神長官と呼ばれる役職を持ち、幕末までミシャグシ信仰の神官を勤めておられたのですが、明治になり制度が変わったため、代々続いた守矢家の役目は終わったそうです。

今も上社の前宮では、ミシャグシ信仰の名残である、狩った動物の首をお供えする神事が執り行われているそうですが、現在は動物愛護の観点から、鹿の首の剥製を三つお供えするという形式的な儀式になっているようです。

そんなことを、昨年、神長官守矢資料館の職員の方から詳しく話を聞くことができ、
「あぁ…そうだったのか。縄文時代のエネルギーが色濃く残っている場所だから、前宮は他の諏訪大社の社とは異なる雰囲気を醸し出していたんだなぁ…」と納得したのでした。

そして、私の魂には自然崇拝の記憶も刻まれており、それで前宮の土地のエネルギーに触れたとき、とても懐かしく感じたのかもしれないなぁ…と思いました。

この神長官守矢資料館の職員の方からは、現代は狩猟に対する風当たりが強く、この縄文の神の信仰儀式に対してクレームをつける人がいることも聞かせていただきました。

地元の人ではない、都会の人に多いそうですが、生き物の死体や首の肉の生々しさにショックを受けて、クレームをつける人がいるそうです。

そのため、日本で唯一現存していたこの貴重なミシャグシ信仰に、罪悪感や後ろめたさを感じてしまい、非常に肩身が狭い思いをしていらっしゃるのを感じました。

故郷の誇りでもあるはずなのに、社会からのクレームを恐れ、堂々とオープンにできないジレンマをひしひしと感じたのです。

私はこうしたお話をいろいろ聞かせてもらい、複雑な気持ちになりました。

『郷に入れば郷に従え』といいますが、信州には信州の文化があり、その土地の信仰もあり、それはその土地の人々のためにあることです。

それなのに、その土地に住まない者が、自分の主観を「正義」に置き換えて、その薄っぺらい価値観をもとに、何千年という歴史を有する神事に対して「残酷だ」と文句をつけるとは、なんとまあ、四角四面で融通のきかない輩なんだろう…と呆れてしまいました。

これが『ノイジーマイノリティ』と言うものなんだな…と思いました。

私も山に暮らしているからよく分かるのですが、山国では野生動物と人間が共存しています。共存しているからこそ、山の動物の怖さを身をもってよく知っています。

そして、そこには動物の扱いに慣れた「猟師さん」と呼ばれる人々が昔から存在しています。


この猟師という仕事も大事なもので、生き物の数のバランスを調整してくれています。

猟は遊びではなく、命がけの仕事です。大変な仕事だと思います。
身近なところで熊が出ると、地元の猟友会の皆さんが出動してくださいますが、そのお陰で私たちは安心して暮らせます。感謝でしかありません。

私が住んでいる飛騨も、諏訪大社の周辺と同様、縄文時代のエネルギーを感じるところがあり、また地域がら狩猟については理解は深い土地だと思います。

ここ数年は獣害が深刻で、人間は昔ながらの土地で大人しくひっそりと暮らしているにも関わらず、動物のほうが、境界線を破ってどんどん人間のエリアに入ってきていて、今はいろんな問題が起きています。

だからこそ、境界線を守るために、時には狩猟もその手段となります。

猟をする人がいてくれるお陰で、危険が回避できるのです。

でもこれは今に始まったことではなく、ずっと昔から脈々とあることです。

ただ、他の都会のような土地で暮らしている人々は、野生の動物たちの生々しい実態を知らないでしょうし、共存の大変さなど、体験したことがないと思います。現実の厳しさを知らないのでしょう。

それなのに、ちょっとかじって知ったからといって、それがたまたま自分の価値観とは反するからという理由で、上から目線でジャッジするのは、何か違うんじゃないかな…と思うのです。

人はどんなに知ったかぶっていても、どこかで無恥であり無知である部分も有していることを、自分でしっかり自覚して知ることが大事だと思います。


視点を変えて俯瞰してみれば、私たち日本人のルーツは縄文人であり、縄文時代は狩猟によって自然と共存しなから生き抜いた時代です。

遠い昔は、狩猟は皆が当たり前にやってきたことです。

それを今さら否定して、それがどうなるというのでしょう?

生きていくために、命をいただく。

それは植物も同様です。

切っても血が出ないというだけで、実は植物にだって命があり、植物もみんな意思をもって生きています。

だから、私たちは動物だけでなく植物の命もいただいているわけです。

菜食も肉食も、私から見たら全て同じこと。

そこに優劣も貴賤もありません。

恥じることはないし、逆に優越感に浸る必要もないし、ジャッジすることも必要ありません。

こうして「今を生きている」ということは、皆がそれぞれの形で、他の命をいただくことを平等に体験しながら、私たちは日々生きているということです。

その命に対して私たちができることは、 やはり「感謝すること」。これに尽きると思います。

ただただ感謝する。

感謝していただく。

だから

いただきます、ごちそうさま。

これなんです。

これしかありません。

そういえば、お釈迦様は信者が作ってくれた豚肉料理に当たってしまい、食中毒がもとで衰弱して亡くなられた…というお話を聞いたことがあります。

その時、お釈迦様は80歳だったそうですが、その肉料理を作った信徒を責めるなと、弟子たちに厳しくお諭しになられされたそうです。

ご縁があったからこそ人はこの世に生まれ、
死の縁に触れたからこそ人はこの世を去るのです。

それはお釈迦様でも同じでした。

動物も同じ。

そんな命のやり取りの一つのかたちを、幡野さんは狩猟の写真をもって、私たちに教え伝え下さっているのかもしれないな…と感じました。

最後に

ミシャグシ様の御供物にされた動物たちについてですが、現代の人たちが可哀想と蔑むのとは異なり、古代の人々の感覚で見ると「神に捧げる供物として選ばれたことは幸せなことであり、生き物にとっても最高の誉れだ」というプラスの受け止め方だっただろうと思います。

同じ死ぬにしても、ただ死ぬのではなく、神様に捧げられた命です。
それは、偶然とはいえ、たまたま選ばれて供物となる縁を得たことであり、それは生き物にとっても幸せなのことなのだ…と。

だから、可哀想ではなく、残酷でもない。ただ、そういう縁を得たというだけのことなのだ…と。


こんな感じで、現代人の私たちとは異なる感覚と感性で、生き物たちの命に敬意を払っていたと思うのです。

決して粗末にすることなく、ちゃんと丁寧にきちんと扱ってきたのだろう…と。

だから、脈々と受け継がれ大切に継承されてきたのだと思います。

そして、この写真展に出てくる生き物たちも、狩猟という縁に触れて、また幡野さんのと出会いによって写真が残され、こうして多くの人々の目に触れることとなり、観てもらうことができて、ある意味、とても幸せなんじゃないかな…と思いました。

写真展に出るという形で、多くの人々の思考に刺激を与え、狩猟に対する意識を深めるという役割を果たしているのです。

これも出会いであり、一つのご縁。

すごいことだなぁ〜と思いました。

遥々見に行ってみて、本当に良かったです。
あのギャラリーの雰囲気に触れらたことも、大きな収穫でした。

素晴らしい写真展、本当にありがとうございました。

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