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災害が起きる前にできること

今回の西日本豪雨では、私が住んでいる市も特別警報が発令されました。

今回の豪雨は、今までの大雨と明らかに違っていました。

今までの常識だと、

雨雲は西から流れてくる → ザーと雨を降らせる → やがて雨雲が東の方へ移動していく → 雨雲が通り抜けていけば雨は止む →天気回復

…という感じだったんです。

いつもなら、雨の降り方にも「リズム」があります。そのリズムを本能的に感じ取って、雨が今後どうなっていくのか予測がつきました。

また、空の様子、気温のちょっとした変化、風の感じ、虫やカエルの鳴き声、川の水の状態…等、そうした自然の状況を観察して、「あっ、雨が来るな」とか「もう降り止むぞ」とか「暑くなるなぁ」とか、察することができたのです。


ところが、今回は、そうした自然感覚では察知しきれない、予想を越える異常な降り方でした。

それも、突然、雲が発生してゲリラ豪雨のように降ります。

西から流れてくる…という常識を超えて、この土地の上空で突然、強い雨雲が発生することもありました。

そのため、雨足が弱まることが一切なく、本当に「容赦なく」降り続くのです。

ですので、「ああ~雨が止んだ。これで大丈夫だ。」と安心する隙もなく、今はたまたま止んでいるだけで、またすぐに強い雨が降る…。という感じでした。

ちなみに、今回の豪雨では、天気予報よりも、アメダスの雨雲の動き動画が役立ちました。雨雲の動きや場所が分かるので、これを見て「来るぞー!」と心の準備ができました。

その他にもう一つ。精神的に怖かったのが、ゲリラ的に降る雨のため、川の水が鉄砲水的に一気に増水するのではないか…ということです。

局地的に降れば、当然、川の水位が上がるため、上流で豪雨が降るときは、かなり緊張しました。

雨が長引くと、川の増水だけでなく、山崩れや土砂災害の不安も出てきます。山の治水能力も限界に達していたので、いつ崩れるのか冷や冷やした場所もありました。


こんな感じで、

「今はなんとか大丈夫でも、数時間後にはどうなっているのか分からない…。」

そんな、先が全く見通せないところも、今回の豪雨で怖かったところです。


でも、お蔭様で、この飛騨地方では、家屋や道路・線路の被害はありましたが、人命が失われることはありませんでした。

避難所に避難しましたが、無事に自宅に帰ることができたのです。

今回の豪雨では、不謹慎かもしれませんが、なんだか『臨場感あふれる避難訓練を体験させてもらった』…そんな気分です。

今まで防災に対して他人事のように思っていた人々も、今回の豪雨で、初めて身に迫る危機感を覚え、実際に避難所に行き、そこで一晩過ごすことで、この体験から多くを学んだと思います。


ちなみに、今回の豪雨で甚大な被害に遭われた方々の手記(中国地方のとある県に在住の方。ネットで読みました。)を読ませていただきましたが、被災して初めて「まさか自分が被災者になるとは…」と驚かれた方もいらっしゃったようです。

今の日本を俯瞰して見ると、「ここは安全」とか「自分は大丈夫」なんて呑気なことは言ってられない時代に突入したことを感じます。

他人事だと思っていても、「いつ、我が身」です。

何事もない大事ないときから、自分の身を守る準備と心構えは、しっかり培っておかなくては…と思います。



今回の豪雨では、この飛騨地方では、数日にわたって特別警報が発令されていましたが、中国や四国のようなことはありませんでした。被害はありましたが、これから復旧して取り戻せることなので、ありがたかったと思います。一日も早く日常の生活に戻れることを祈るばかりです。

そこで最後に『まとめ』として、私たちの住んでいる地方での「防災に対する事前の取り組み」について、ここでご紹介したいと思います。

①東日本大震災の被災地とのつながりから防災を学ぶ

2011年の東日本大震災の時、東北の被災地からこちら(高山)へ、避難されたり移住されたご家族が何人かいらっしゃいます。

その方々が、今現在、この飛騨地方に定住されて、この土地で防災について啓蒙活動をしてくださっています。さらに、被災地へのボランティア活動の窓口になって被災地との交流の懸け橋になってくださったり、具体的な災害対策について教えてくださっています。

あの大震災がなければ、私たち飛騨人は、遠く離れた東北のことなど何も知らず、訪れることもなく、全くご縁がないまま過ごしていたと思います。

ですが、奇しくも震災を介して、東北の人々と不思議なご縁でつながり、今に至っています。

あれから7年の間に、この飛騨地方からも多くの人が東北へボランティア活動で出向き、また、東北から飛騨へと交流活動でたくさんの方が訪れてくださいました。

高山に避難されて住まわれた方々も、今では、地元ではなくてはならない大切な存在です。東日本大震災の経験を私たちに語ってくださり、「防災の大切さ」・「自分の命は自分で守ることの重要性」を説いてくださっています。こうしたお話を、学校や町内会などが主催する講演会や勉強会にて、丁寧にお話してくださっています。

このとき、「飛騨には海は無いから津波の心配はないけど、『山津波』と言って土砂崩れの危険はたくさんあります。ですから他人事だと思わず、しっかり備えてください。」と、私もよく聞かせていただきました。

こんな活動が、あの震災から今日まで、この飛騨地方では市民主体でコツコツと継続されています。

こうした積み重ねが、今回の豪雨には生きてきたと思います。

②facebookによる情報の交流

facebookに『飛騨地方災害時専用トピ』というグループがあります。

このトピックは、飛騨地方の災害情報や被災状況、事故による道路情報などの情報を共有するトピで、現在5000人以上が参加しています。

これは、一般の個人の方が立ち上げて、その方が管理人をされているグループです。

確か5年ほど前だったと思うのですが、何かの自然災害が飛騨地方で起きて、その情報をfacebookで上げている人が多数いて、それらの情報をまとめるために、このトピが自然発生的に立ち上がり、今に至っている…そんな経緯だったと思います。

このトピは私も参加しているのですが、今回のような大きな災害時だけでなく、大雪による通行止めや、大雨の後の土砂崩れ等の情報、はたまた熊の目撃情報など、日常的に起きる様々な災害や事故について、その場所に遭遇した人がここに報告してくれるので、本当にありがたい存在です。


ちなみに、地元には、行政が発信元の災害トピ(facebookや災害メール)も、もちろんありますが、今のご時世、行政からの発信は公共性&平等性が求められるので、自由かつ臨機応変な情報発信は、なかなか難しいかもしれません。

しかも最近では、行政に異常なほど敵意をむき出し、粘着質に執拗に行政批判をする人がいる時代ですので、行政機関が運営だと、悪意のターゲットになったり、情報発の揚げ足取りが出てきたりして、情報の共有が正しく出来ない可能性もあります。


ですので、参加者同士で情報のやりとりを自由に柔軟に行いたいのであれば、行政とは関係のない個人が運営されたトピの方が良いのではないかな…と思います。(←今までの経験から)

今回の豪雨でも、「どこの道が通れるのか?」「川の状態」「避難所の様子」「被災した場所の状態」「通行止めの情報」「復旧の予定」…等が、この災害トピの参加者からどんどん情報提供されていたので、とても助かりました。

豪雨の中でも、このトピを開けば、「今現在、何が起きているのか?」「どこがどんな状態なのか?」が、写真付きですぐに確認することができ、全体を俯瞰して理解することができました。

これは、先が見えない災害時ののなかで、一筋の光のように感じられました。

情報って、本当に大事だな~と心から思いました。

③河川の公共工事や町内会での維持管理の重要性

実は、10年以上前に、この飛騨地方の北部で台風の被害があり、この地域の中央を流れる宮川が決壊して、多くの家が被害にあいました。

その後も、温暖化の影響か、豪雨が降ることが増えていき、至る所で河川の増水が起きるようになりました。

そこで、ここ10年ほどかけて、飛騨地方の至る所で河川工事が行われていました。

川底を掘って下げたり、堤防を強化する工事です。

その間、景観は悪かったですが(笑)、今回の豪雨では、この河川工事の効果がフルに発揮されて、飛騨北部では川の水があふれて住宅地に浸水することはありませんでした。

また、私の住んでいる地区では、住宅地を流れる小さな側溝の中にゴミや土を入れないよう気を付けています。また、側溝内の泥を掻き上げる清掃活動を、町内会の奉仕作業として毎年取り組んでいます。

こんな小さな取り組みでも、いざという時、とても大きな力を発揮します。

ニュースで「側溝の水が道路にあふれて冠水した…」という場面をよく見ますが、もしかしたら、水量のキャパオーバーだけでなく、側溝に泥やゴミがが詰まっていて、もともと流れが悪い状態だった可能性もあるかもしれません。

いつ何が災いするか分からない時代です。

これを機に、どこの街でも町内会活動として側溝や河川の清掃活動をしていくと良いな…と思いました。

こうしたことも、いざという時のためになるし、目的意識を持って取り組めば、防災意識の向上に繋がるだろうと思います。


最後に…

最近、特に感じることなのですが…。

災害時になると、「何もしてくれない」と行政批判をされる人が目につくようになりました。気持ちは分からないでもありませんが、いやいやいや、それって筋違いなのではないかな??…と思うことも多々あります。

行政の人たちも人間であり、家族がいて、被災者でもあります。でも、緊急時は、家族の心配を頭から掻き消して、必死に仕事についておられます。

そして、いつもの通常業務とは別に、個別に災害対策の業務につかれ、許可が下りるまで役所に詰めて、飲まず食わず・不眠不休で業務にあたっていらっしゃいます。

しかも、想定外のことが次々と起きて、普通の者でもパニックになるところを、慣れない緊急時の対応に追われて個々の仕事量も膨大に膨らみ、そのなか冷静に対処していかなくてはいけないわけなので、本当に大変なことだと感じます。

当たり前と言えば当たり前なのですが、「災害時は、スムーズに物事を運ぶことは困難である」ということを、皆が当たり前のこととして認識しておく必要があると思います。


今回の体験で、いろいろ検証して次に生かすことはもちろん大切なことですが、自分の感情をぶつける対象として、行政や政府をターゲットに定めて、執拗に罵ったり責めたのするのは、何か違うんじゃないかな?…と、時々SNSで流れてくる行政や政治家の批判ネタを見て、つくづく感じます。


何か大事が起きたときに、まるで子どものように「何もしてくれない」「助けてくれない」「守ってくれない」「ちゃんとやってくれない」と駄々をこねて、行政を責めているようでは、とっても恥ずかしいと思うのです。

一人一人が精神的に自立して、大人になり

自分の命は自分で守る

…これを肝に銘じて、自分でできることは、自分でやる。人に頼る前に、自分で判断して、自分で決断してどんどん行動していく…。これが大切なんじゃないかな…と思います。


実際に東日本大震災に遭われた方々の話を聞いても、皆さん、口をそろえて「最終的には、自分の命は自分で守る。その覚悟を持つことです。」とおっしゃられます。


私もその通りだと思います。


「平生往生」という言葉がありますが、日ごろの心構えと行動力が、いざという時に役に立ちます。


危機が迫っているのなら、自分の直感をフルに使って、生き抜くために、まずは動く…。

人から指示されるのを待っていないで、自分の本能的嗅覚を使って、危険を嗅ぎ分けて判断する。そして動く…。

それが、今後ますます求められるだろうと思います。


これからの時代は、まさにサバイバルです。

今回の豪雨の体験を、これからの人生に生かしていくことが大事だと思います。

災害が起きていない平時から、「心構え」や「心の持ち方」をしっかり持つこと。そして、出来る範囲できちんと準備を重ねていき、いざという時、さっと動けるようにしておくことが大切なのだと思います。











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