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私が生きた昭和と平成を振り返る

いよいよ「令和」が始まる。

ちなみに私は、現在50歳。「令和」元年の誕生日に私は51歳になる。つまり50代からの私は「令和」の時代を生きる・・・ということ。

ちなみに、今までの人生を振り返ると、

☆誕生(0歳)~20歳までの20年間・・・昭和時代

☆20歳~50歳までの30年間・・・平成時代

☆50歳~・・・令和時代

・・・である。キリが良くて非常に分かりやすい(笑)。

こうして振り返ってみると、昭和時代に子供時代を過ごし、平成時代は一社会人の大人として生きてきた訳だけど、この平成時代の30年間は、私にとって自分のアイデンティティーを確立する30年だったなぁ~と思う。

というのも、私が子供時代を過ごした昭和の時代は、「大人の意見や社会の常識に素直に従い、黙って大人しく従順に真面目に生きていくことが幸せへの近道」だと信じられていて、皆が決められたパターン通りに生きていくことが「普通で当たり前」という価値観だった。だから、子供は勉強をして良い成績を取り、偏差値の高い高校や大学に進学することがステータスだし、学校を出たら安定した職に就くことが大事だったし、社会人になったら結婚して子供を産み育て、家庭を持つことが必須だったし、年老いたら子や孫と同居して一生面倒を見てもらうのが幸福な人生だと、皆がそう信じていた。

そんな時代の空気をたっぷり吸ってきた私たちは、自分も世間並みに結婚して子供を産んで、夫の親と同居して介護をして生きていくこと・・・それが女の幸せであり、一般的な生き方だと刷り込まれてきた。そして、その道から少しでも外れると「失敗」の烙印を押されて、社会から排除される・・・そんな厳しい時代でもあり、失敗しないように、踏み外さないように・・・と皆がピリピリと周囲に気を遣って生きてきた時代でもあった。

ところが、昭和の終わり頃から、一般的な人生レールを踏み外して失敗の烙印を押された少年・少女達が「非行行為」という形で激しく自己主張するようになり、次第に「人間の個性を尊重しよう」という意識が日本人のなかに芽生えてきた。子供の個性を大切にする教育が叫ばれるようになり、女性も社会に出て男性と同じように仕事をして生きていく道が切り拓かれていき、バブル経済で社会が狂乱して急降下し、なんだか世界が混乱していくなか、昭和が静かに終わり、平成が始まったのだった。

今思えば、「平成」という時代は、古くから型にはまってガッチリ固定されてきた「性差による社会的役割」、意識の根底にこびりつく「固定観念」、昔から代々刷り込まれてきた「古い価値観」、その他、誰もが「世間の常識」と信じて疑わなかった細かい部分まで、根底から大きく揺さぶられ、違和感に気づかされ、根こそぎ変化を求められ、変革し変容した時代だったなぁ・・・としみじみ思う。

私が子供の頃は、男の子が家事をするなんて信じられなかったし、男の子に家事をさせたら世間中から非難轟々となり、今でいうなら「炎上」するような状況だった。また、結婚したら家庭に入るのが当たり前で、夫や子供や舅姑に尽くすのが嫁の務めであり、年老いた親の介護をするのも女の子がやるのが当たり前だった。とにかく、世の中の男性たちが自分らしく人生を全うするために、そんな男性の人生を陰からサポートするのが女の勤めであると最初から決められていて、女は社会の表に立つことも、主役になることも、決して許されない・・・そんな世界だった。
特に地方の田舎だと、そういう傾向が濃く残っていて、「それ変だよ。おかしいよ。」と声を上げることすら許されず、とにかく何も考えず・何も感じず・何も思わず・やるべきことを毎日淡々とこなしていけばいい・・・そう躾けられる時代だった。「声を上げる」という行為は社会の平和を脅かす危険行為という認識だった。そんななかで生きてきたため、どんどん感覚が麻痺していき、自分が分からなくなり、最後は「自分は何をしたくて、どう生きたいのか?」も見失ってしまうような状況だったと思う。社会の安定のために、人々の意識が画一的にコントロールされていた時代であった。

ところが、この平成の30年間で社会は大きく変わり、自分の声を自由に出せる時代に変化し、そこから多くの人が「自分探し」を始めた。いろんなことを試してみて、自分にフィットするもの(道)を見つけようとした時代…。いろんな所を旅し、昭和時代の既成概念を超えた体験を積む人々が増えていき、古い価値観の通りに生きていっても幸せにはなれない・・・ということに、多くの人が気づき始めていった。

かくいう私もその一人で、平成時代の30年間の間に、就職し、結婚し、出産し、子育てをして、社会活動も時々して、老親と向き合い、いろんなことを体験していきながら、「自分を取り戻そう」と立ち上がった。

もう昭和的な感覚では生きていけない・・・と感じた私は、怖さと闘いながら、幼い頃から絶えず刷り込まれ、心の奥底まで染みついてしまった「古い価値観」を手放すことに努力した。古い価値観が「それをやったら世間から批判されるよ」「それを実行したら社会からダメ人間のレッテルを貼られるよ」と私に脅しをかけてくるのを、私は勇気を振り絞って無視し、自分の心が欲することをひたすら行動に移していった。
自分に合わないものは潔くカットしていき、自分が欲するものを自分に与え、自分が行きたいところに行き、時々旅をして、会いたい人に会いに行き、やりたいことにチャレンジして、自分の心の願いを叶えていくことにコツコツと取り組み続けた。

その結果、ふと気がつくと、私から離れていった人もいた反面、逆に新しく出会った人も居て、人間関係が大きく変化した。恐れていた「人から誹謗中傷を受けて嫌われる」ということは一切無く、私を咎める者も誰一人として出てこなかった。むしろ、自分らしさを発揮すればするほど、皆さん好意的に受け止めてくださり、不思議と仲間が増えていく・・・という状況である。
一番の難所だった家族との関係も、私がこだわりを捨てて自分らしく自由に振る舞うようになったら、むしろ以前より親しくなり、信頼されるようになり、いい関係に変化していった。もうビックリだ・・・。でも、この体験を通して、意外と多くの人々が「社会や親から刷り込まれた古い価値観に縛られ苦しんでいること」に気がついた。みんな縛られていて、自分からその鎖を断ち切ることが出来ず、ずっと縛られたまま苦しいのに無理して明るく振る舞っているんだなぁ・・・ということ。それを強く感じるようになった。

でも、私みたいなのが出てきて、鎖をパチーンと断ち切って、自分の人生を生きようと取り組んでいる他人の姿を見ると、「なんだ~。自分もやっていいんだ!」と覚醒するみたい。
昔、猿の群れで、一匹の若い猿が海水で芋を洗って食べているのを見て、他の猿が真似して同じように海水で洗って食べるようになり、それがだんだんと一般化していった・・・と言う話を聞いたことがあったけど、そんな感じなのかもしれない。刷り込まれた価値観の世界を脱するのに、人の姿を見て、そこから刺激を受けて自分もチャレンジしてみる・・・ということもあり、ということだ。
昔(昭和時代)だと、社会の序列の枠からはみ出た者を無視したり、いじめたり、バッシングしたりして徹底的に潰しにかかり、「正義」という錦の御旗を振りかざして攻撃して排除することがよくあった。これは集団のまとまりと安定を維持するために行われ、これによって集団が1つにまとまり一致団結する側面もあった。
しかし、平成時代も30年を経ていくと、だんだんと人々の意識も変容していき、対人関係のスタイルも変化してきたなぁと思う。前よりは自由でフェアな関係が浸透してきて、奇抜さも新しさも「その人の個性」として明るく受け入れられる・・・そんな雰囲気に社会が変化してきたことを感じる。

一人が発する声に、ネガティブな反応をする人がいる反面、心から賛成する人や理解を示す人、その発声にポジティブな影響を受ける人、応援する人、深く受容する人、考える機会を得る人・・・等、ポジティブな反応もたくさん出てくるようになった。いやいや、これは「自分の気持ちを、自由に素直に表現することが許される時代になった」というべきか。しかし、これはとても良い傾向だと思う。これはネット社会というのも大きな理由だろう。今では遠く離れた知らない者同士でも、すぐに繋がり共感し合うことができる。こうして社会の意識や思考がネットを通して分類・整理されていき、やがて、時代に合わない古い価値観や刷り込みは、ますます淘汰されていき、更に生きやすい時代になっていくだろう・・・と思う。

こうして迎える次の「令和」時代。

平成で大きく変化してきたことが、令和で更に加速して進んでいくと思う。それは人々の意識が大きく変容したことも大きい。

もう昔には戻らない。過去を手放して未来志向で、新しい時代を切り開いていきたいと思う。

きっと、次は「自分らしく生きる」ことがもっと多くの人々の間で浸透していくのだろう。老若男女問わず、多くの人々が今まで身にまとっていた鎧を脱ぎ、自分を守るために決して離さなかった武器を手放し、「自分の心」に寄り添った生き方をしていくと思う。新しい時代が私たちの輝かしい未来へ繋がっていくように・・・。心穏やかに明るい気持ちで、新元号をお迎えしたい・・・と思う。

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