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5.無能な自分に全面降伏した日

わたしは多くの時間を仕事に費やし努力次第でなんでもできると思っていました。
30代後半にさしかかった今はさすがにそれは無理だと気づきましたが、でもまだ完全には自分の無能さを認めきれていませんでした。

そんなある日、心屋マスターコースの師匠にこんなことを言われます。「結局、夫に守られた環境の中で好き勝手しているだけ」

そんなつもりもなかったし、自力で歩んできたつもりだったのですが、その時「たしかにーー!!!」とすごく腑に落ちました。そして実際、わたしは自分では何も為していないことに気づきました。
いや実は薄々は気づいていたんです。
でもわたしは自力でやってきたと思いたかった…!!

「わたしだって頑張ってきた!」
「わたしだってできるところもある!」
「わたしだって褒められたい!(認められたい)」
みたいな本音がまだまだ埋まっていたからです。
心理学的に言うと自分が自分に真から認めていないと人から欲しがるようです。そうだと頭ではわかっていても早々埋まるものではありません。

なんて恥ずかしい…!!

わたしはたくさんの他力によって流れにのって生きてきただけ。そしてこれがわたしが生き抜いてこれたおそらく最善の方法。

実際のわたしは怠け者で、料理微妙、常識に疎く、知らないことだらけ、とにかく人に恵まれ運だけで生きてきた能天気でラッキーな人間です。

わたし、こんなにも何も出来ないんだ、、、
わたし、ちゃんとできないんだ〜
やらなきゃとは思ってたけどできない。
それがわたしでした。

自分でもポンコツだと気づいてはいたけど、まだできる人間になりたかったわたしは自分に無いものを見ようとせず、可能性のあるものばかりあさっていました。
それは自分の中の無いを直視したくなかったから。
それは自分の嫌いな部分、一生変わらない嫌いな持ち物とも言えます。

有能な人間になりたかった。
器用で理解力があって合理的な人間になりたかった。
知識が豊富で説明が上手な頼りになる人間になりたかった。

要するにわたしは自分にないものを欲しがり、
それを必死で手に入れようと頑張ってきたんです。
でも30代になり頑張り続けるという事が無理になっていき、お声がけいただいたチャンスも受ける事の違和感を感じ、色んなものを手放していくという流れから孤独やどん底に落ち入り、そして本来のポンコツに戻ってきました。

そしたら、そしたら!!!
わたし実はもう幸せに生きてきたことに気づいたんです…!

頭ではわかってたけど、これはもっと根底の気づきでした。(ああ、言葉にするとなんて平凡なのでしょう。この衝撃をそのまま伝える言葉を持ち合わせていません!)

わたしがもともと持っていたものって
無能のまま、周りの人に助けてもらう、周りの人と笑顔になる、そんな能力。

おかえりポンコツちゃん

学生の頃、いじられたりして舐められているようで、それが嫌で、そうならないために付け入られない人間になるために頑張ってきたけど、それは本当の自分を隠し、本来の能力を眠らせたまま生きることだったんだなぁと今ならわかります。

とても遠回りしたけど、わたしはポンコツのまま、弱いまま、かっこ悪いまま、守られながら、助けてもらいながら、生きていこうと思います。
だってわたしが一人でどんなに頑張ったところで、結局そうやって生きてきたんだし、どうせ守られてるんだから。(でもキャンキャン吠えると思うけど)

恥ずかしくて、損してるようで、馬鹿にされてるみたいで隠してしまったわたしの能力。
わたしがわたしを認めて帰ってくるための長い長い寄り道。
長い間待たして本当にごめんねって自分に言いたい。
それがわたしの最高の持ち味だったんだなぁ。
元々持っているものって当たり前すぎてついつい邪険にしてしまう。

わたしにとって平成最後の大きな気づきでした^^

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