心にも重力を感じないと立っていられないよ

はじめまして。cotreeのふじわらと申します。

今これをお読みいただいている方はどのようにしてこのnoteにたどり着いたのでしょう。私がcotreeにジョインすることがなかったら、ここで繋がることもなかったのかと思うと、せっかくのご縁なのでプチギフトになるような言葉をお渡しできたらと思いながら書いています。

簡単に私がcotreeのなにものなのかということをお話しすると、去る4月1日に正式入社したばかりのほやほやの新人ながらメンバーの中で最高齢の39歳、コーチングのコーチとして研修中で、今はバックオフィスを担当しています。
バックオフィスっていうとベンチャーっぽくて聴こえがいいけど、事務のオバちゃんといったところですね。知識量やら専門性の高さやらおまけに人柄も優秀すぎる若者に囲まれて「ワシのわけぇころは惚れた腫れたばかりだったっちゅうのになんちゅう若者たちなんだ…」と感心しきり、刺激的すぎる毎日を送っています。

代表の櫻本が書いたnote「自分の居場所を見つけるのに必要な、ふたつのこと」この中で櫻本は「役に立っていると感じられる場所」をひとつめに挙げています。

私にとって、例えばcotreeが、そういう場所たりうるのかを日々考えるようになりました。

「役に立っている」と感じられる場所とのかかわりには「私は信じられている」「私は期待されている」という二つがあり、後者の「期待」というのがそのうちに負担になるというのは言葉でわかっていても、「信じられている」って実はピンと来なかったりします。

では「信じられている」という感覚とはどんなものなのか。

これは心にとっての重力と言えるんじゃないかと私は思うのです。

「地に足をつけて」と昔から言うように、人は重力がなければ立っていられません。無重力でふわふわ漂うのは自由なようでいて、とても不安定ですよね。だけど普段は重力なんていうものを忘れて、歩き走り、踊ることもできます。これが「信じられている」という感覚なのではないかなと。いうまでもなく「期待」は重力ではなく、重しになってしまうものとわかります。

お母さんのおなかの中で羊水にぷかぷか浮いていた赤ちゃんは、生まれ落ちて地球の重力を感じ、最初は重しをつけられていると感じるほどの状態から、それでもだんだんと歩くことを覚えていきます。

自分の存在する意味や価値を問うてしまうとき、心にとっての重力を感じとろうとしてみると、普段は感じ取ることのできなかった愛や、重すぎた期待など発見があるかもしれません。

「信じる」側にとっても気づきがありそうですが長くなったのでそれはまたいつか。

私はcotreeで立つことができているでしょうか。歩くことを覚えていきたいなと思っている段階、ということは言えそうです。

cotreeにはこんなメンバーもいるんですよ、ということで。


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このnoteは、cotree advent note 20日目です。
https://note.mu/kaz_hirayama/m/m7af22fc58495

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Emi Fujiwara

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