「気づきを与えるnoteを書きたい」と力んで気づいたこと

今日で2019年のGW10連休が終わりますね。

cotree advent calenderの5月の割り振りをしたとき「GWの最終日ならゆっくり休んだ後だし話題をあたためる時間もあるから書けそう(♪)」と思って今日の枠に名を入れたのですが、全くそんなことはなかったですね。

今回の連休は、自分自身について考えさせられる10日間でした。仕事に時間を使わないこと=休める、というわけではなく、自分自身について考察する題材は容赦なく目の前に積まれていくので人生って忙しいな…と思います。

そして、自分の自信のなさを再認識してがっかりしてしまい「なんとかしたい」と考え始めてしまったため、読んでいる方の気づきになるようなことを書ける気がしない今日なのです。

読んでもらえるnoteを書きたいと意識していて思ったのですが「気づきを与えたい」っておこがましいですね。

思い返せば「差し出された気づき」が受け手のものになることはほとんどないように思います。自分のものになる気づきとは、自分が体験したことに対して感じて考えて、語る中から発見していくもので、他者の言葉はそういう時に資料として参照されるものでしかないのかもしれない。

そしてその他者自身が体験したことに対して感じて考えて、語られたものでなければ信頼できる資料にはならないようにも思います。

そう考えると、人に気づきを与えようなどと力むこと自体、不毛なのかもしれませんね。

私の自信のなさは、新たな出会いが続き関係を築こうしているものの、出会った人は「(自分よりも)すごい人」だと気後れしてしまう癖に表出しています。そして、自分がその人にとって有用な存在たれと力むので、会話が心地よいものにならず、ますます自信を失うスパイラルに陥っていきます。

商談でない限り、話をすることのメリットはほかでもなく心地よく語らうことができることそのものにあるということを忘れずにいたいな、と思いました。

カウンセリングやコーチングの勉強をしていると、頭でっかちになりもともとの自分の携えていた心地よいと感じさせることのできる空気を消してしまいそうになることが今の私にはまだあります。

私に与えられるものがあるとしたら「人生経験豊富ながら俗っぽく素直な人であること」なのかもしれません。そのままでいい部分は、大切にしていきたいものですね。

「書いてみる」チャンスを与えてもらえるのはありがたいことです。自分一人だったらきっと書かずに過ごしていたと思います。

ほかには粒よりコンテンツが揃っていますので、こんなゆるいのもまぜておきました。


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このnoteは、cotree advent note 36日目です。
https://note.mu/kaz_hirayama/m/m7af22fc58495

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Emi Fujiwara

cotree advent note

チームcotreeでnoteを毎日更新する企画。
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