情報生産性

資本主義の時代には、生産性の向上というのが一つの大きな目的指標となり、その生産性を貨幣価値で測ってその向上から利益を出す、ということが基本的な思考・行動パターンとなっていると言える。しかしながら、全てのことを一律に貨幣価値で測った生産性に即帰納せしめるやり方は、経済・経営学的にはともかく、社会的に意味があると言えるのだろうか。

工業簿記の生産性

社会的に見て意味があると言えそうなのは、工業簿記において生産原価を低減することによって一単位の財を安く作ることができるようになる、ということについては当てはまるのかもしれない。

商業簿記の生産性

しかしながら、商業簿記においては、売上原価の削減とは仕入れ先のコスト増、販売価格の上昇とは売り先のコスト増となり、同一財の価格変化はマクロ的、すなわち社会的にはゼロサムにしかならない。つまり、一単位の財の仕入れ価格と販売価格の変化によって社会的生産性が向上したとは言えず、それはマクロで見れば経済学的にもそうで一箇所における付加価値の上昇が他の場所での付加価値を犠牲にして行われるのであれば、マクロであれば差引ゼロとなる。唯一経営学の観点から見た時には単位価格の変化が一つの組織の生産性の変化として記録されるので、価格政策が生産性の向上につながることになる。商業簿記において生産性向上につながるのは、新規販売の拡大であると言える売上高の上昇ではないか。顧客サイドでは価値を認めなければ買わないわけであり、価格政策とは関わらない売上高の上昇は、商業的価値の認知が広がったこと、すなわち生産性の向上であると言えるのではないだろうか。

サービス生産性

さて、商業は基本的には物販であるが、サービスの販売についてはどう考えたら良いのだろうか。これには二つの方向があり、一つには高付加価値のサービス価値を上げてゆくことで単価を上げ、高所得者層からの評価を得ること、もう一つにはサービスの普遍性を高めてより多くの顧客にリーチするようにすることだ。前者はサービス業における工業簿記的な部分であるといえ、サービスの質の向上によって生産性の向上を図ることになる。後者はサービス業における商業簿記的な部分であり、ユニバーサルサービスの入れ込み客数を増やすことで生産性を上げてゆく。サービスに関しては財のように具体的ではないので、工業簿記的な原価計算、あるいは付加価値の積み上げ計算が容易ではない、というか、それを明らかにするとサービス自体の模倣がなされて高付加価値化が難しくなり、さらには顧客ごとの差別化戦略自体上記商業簿記のゼロサム状態と変わらないことになるので、前者による生産性の向上は非常に限定的となる。一方で、後者のユニバーサルサービス化による入れ込み客数増加は、ユニバーサルサービスである以上業者による個別化が難しく、競争が激化して結局シェア争いとなってしまう。商業についても言えることだが、ユニバーサルサービスの中に固有価値を含めることによって独自の価値を打ち立て、それによる生産性向上を図る必要がある。この独自の価値の中に、最後に見る情報生産性というものが含まれるのかもしれない。

金融生産性

昨今の資本主義においては、商工業といった実業よりも、金融業の生産性の向上が目覚ましいのだと言える。それもそのはず、生産性を貨幣価値で測るのならば、わざわざ商工業といった貨幣的にはコスト要因となる他のものを経由することなく、直接貨幣同士でやりとりしてさっさと利益を確定させるのが、論理的にも確実に生産性は高くなる。しかしながら、モノとモノとの交換を円滑化するために導入されたはずの貨幣が、その貨幣やそれに直接的に関わる権利のやり取りに中心的に使われるようになると、実際の貨幣の生産性の元である財・サービスの交換を挟まずに利益を出すようになり、実際の生産性の向上なしの、数字上だけでの生産性の向上となり、経済・経営学的のみに限られた内輪の生産性向上に一喜一憂するという、まさに虚業という言葉にふさわしい状況となる。
では一体金融業における生産性とはどのように考えたら良いだろうか。私はそれは、実業における貨幣流通速度をいかに上げたかによって測られるのではないかと考えている。典型的には銀行融資は何らかの投資計画に基づいてなされるわけであり、その使途が実業に向くことは明らかで、それは生産性の向上につながるのだと言える。その観点から、金融商品には何らかの形で実需への直接的な関わりを義務付けるという必要があるのかもしれない。具体的には、為替の先物について、実際の取引があるものしかできない、というのは最もわかりやすい例だと言える。その他、株式の取引にはその会社の商品を一定期間に一定額購入していることを義務付けるとか、BtoBの会社であれば株式購入に何らかの取引契約を添えるなどして、取引と株式保有との関連性を高めるといったことも考えられるかもしれない。社債の発行にも実需を伴った投資計画を必須とし、投資信託的なパッケージには具体的な連携プロジェクトを添えてその購入によって確実に実需を伴ったプロジェクトが動き出すようにするといったことが考えられる。貨幣流通速度へのインパクトでは、融資や為替予約、そして社債についてはその金額が全額実需に向くことが明らかなので1がつくが、株式購入では義務付けた金額と株価との見合いでその指数は変わるし、BtoBの取引契約、そして複数企業のからむ連携プロジェクトパッケージではさらに下がるかもしれない。こうして、金融利益と実需インパクト指数を掛け合わせたものを金融生産性の計測基準とすれば、金融の生産性が見た目上だけでどんどん上がってゆくということを防ぐことができるかもしれない。また、逆に金融商品を挟む事によって実際よりも貨幣流通速度が上がる仕組み、例えば手形のようなものならば、それは金融によって生産性が上がったと言えるのではないだろうか。ただ、これについてはさまざまな議論が必要となりそうなので、今はここまでで止めておきたい。

情報生産性

ここまで見てようやく情報の生産性ということを考えることができそう。情報についてここまでのものと異なっているのは、その生産性を貨幣価値で図るということがまだ正確にはできていない、というところにある。つまり、情報の生産性を貨幣価値で図るということ自体、現状では難しい、ということになる。そこで、情報の生産性をどのように測るのか、ということを考える必要が出てくる。他のものと同じように、一旦貨幣価値に換算して、それによって生産性を測るべきなのか、それとも情報それ自体の生産性というものを考えるべきなのか。前者ならば、情報の生産性というよりも、むしろマネタイズ技術の生産性となり、それが情報自体の価値を上げるかというと甚だ疑問である。後者になると情報の定量化はもちろん、解釈が主観によるためにその定性化すらも難しい時に、いったいどのように生産性を測ることができるのか、という問題が出てくる。
一つには情報の拡散範囲ということ、そしてもう一つには相互作用ということが考えられる。拡散範囲ということで言えば、情報発信に対して、その発信者の独自性に当たる(と思い込ませたい)部分については、必ず何らかの形で反応が返ってくる。それに対応してゆくことで、自分の情報の拡散範囲というものを確認し、そしてできることならばその経路も確認して、それをなるべく広げてゆくことで情報の生産性を上げるということがある。一方で、直接の相互作用によって、直接的に自分の考えを相手にぶつけて、それによって自分の情報の可動域を増やす、という考えがある。これらは、情報の生産とはいったい何を意味するのか、というフォーカスによって違いが出てくると言えそう。自分の情報の拡散自体が情報生産性の向上であると考えれば、前者の拡散範囲の拡大ということが生産的ということになる。一方で、情報発信によって自分の行動可動域を増す、ということであれば、自分のやりたいことを誰かに伝え、それによって自分の意志の認知が広がって行動しやすくなる、ということがある。現状、ゲーム理論的な駆け引きの正当化によって、情報のやり取り自体が駆け引きとなり、情報拡散にしろ、相互作用にしろ、その反応というのはある程度敵対的であるのが通常状態になっていると言え、この状態が情報交流の生産性を下げているといえる。情報生産性を計測し、上げるというのは、この駆け引き状態を脱し、なるべく意志疎通が円滑にいくようにするということを意味するといえよう。この定量化の努力として、SNS等による反応数の明示化がなされていると言えるが、難しいのは、SNSで目的を明示化せずに感覚的に用いると、目的がわからない、ということで、本音を探るような駆け引き的なものにならざるを得ず、一方で目的を明示するとマーケティング的になってどうマネタイズするのか、という事になってしまい、いずれにしても現状情報の生産性を計測して引き上げるという努力は、特に貨幣との関係性が障害となり、あまりうまくいっていないように感じる。

貨幣から距離を置いた生産性

そこで、なるべく貨幣とは離れる形でいかに情報の生産性について考えることができるか、ということだが、基本的に情報は常に不完全であり、自分の情報発信に対して、典型的にはその間違いに気づくなど、気づきがあるということが生産的であると考え、その気づきを常にアップデートし、必要ならば定量化してゆく、ということが考えられるのかもしれない。自己の気づきであれば、貨幣とは関わりなく自分の中での展開となるので、なるべく多くの気づきが得られるように情報を発信し、他者と相互作用を交わして、それによって納得を増してゆく、ということが、情報の生産性向上、という事になるのではないだろうか。
これを裏側から見てみると、商業やサービス業について、この気づきを提供できるような独自の価値を持っていることで、同一財やユニバーサルサービスの中に違いをもたらすことができるようになる。つまり、商業やサービス業について売上や入れ込み客数を上げるために、情報の生産性、顧客への気づきの提供ということを意識する必要が出てくるのではないか。
この考えは、情報共義の時代をいかに迎えるか、いかに有意義にそれを作ってゆくかというのを考える際に重要になってゆくのではないだろうか。

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