市場メカニズムと労働価値説

財市場と金融市場の性質の違いからマクロ経済均衡が描写されるということを見た。そして、金融市場のメカニズムが美人投票的行動に基づく商人的経済功利主義に基づくものであることも見た。では一体、財市場が機能するメカニズムはどのようなものなのだろうか。

スミスの時代の市場

そもそも、経済学の祖とも言えるアダム・スミスが観察した市場は、完成した財が取引される静態的なイメージ、つまり、リアルタイムで需給が反映されて価格変動が起きる、といった金融市場のような動学的価格調整が行われるものではなかった。それは、市場での需要によって大体の価格の相場観が形成され、それを提供できるような技術が整うことによって投資が行われ、分業による大量生産によって価格を下げて、それによって需給の均衡が達成されるというものであると言える。

物価変動の理屈を追い求めて

スミスの労働価値説からは、少なくとも需要サイドからの価格形成のメカニズムは説明できず、それをリカードは自然価格と市場価格の考え方で整理したのだと言えるが、自然価格の物価変動が労働価値を決めるとしても、やはり物価変動の理由は説明され得ない。そこで新古典派で効用理論が採用されることになったのだと言えよう。しかし、定量化し難い効用理論をもってしても、価格の決定メカニズムは説明できず、ついにケインズが総需要による財市場全体の均衡を考えること効用理論を一般価格に織り込むことができるようになり、ようやく一般物価の変動については金融市場均衡との関係で定まるというIS-LM分析に至ったのだと言える。

個別財市場の価格調整メカニズムの謎

しかしながら、ここに至ってもまだ個別財市場の価格調整メカニズムは解明されておらず、金融市場における美人投票的行動が市場での行動様式として一般化されてしまっているように感じるが、財市場の需給は決して美人投票的行動で定まるものではないだろう。美人投票的行動は、予算制約線内で効用を極大化するために消費行動を決めるという効用理論とは相容れない。消費行動は転売による利鞘稼ぎとは全く異なったメカニズムであろう。

予算制約線が制約する労働価値説

ここで、スミス的な純粋労働価値説が成り立つためには、近代経済学的効用理論から予算制約線を取り除く必要が出てくる。そうすれば、消費者の行動は、労働価値説によって定まった財価格を受け入れるか否かで消費行動を決めるという、セイの法則的な、供給がそれ自体需要を生み出すという世界となる。それにしても、いかに財価格を受け入れるか、という部分については定まらないままであり、それは財の希少性ということに依存することとなって、大量生産の考え方とは相反することになる。いずれにしても、予算制約線がなくなることで、ようやく財の希少性、それが労働価値説に基づくのであれば、労働の希少性によって市場評価が定まるということになる。

予算制約線なき世界

予算制約線がない、つまり市場に財がある限りにおいて何でも買うことができるという状態にあれば、人は労働を安売りする必要がなくなり、そこでマルクス的な資本による労働の搾取という状況はなくなる。資本と労働の対立関係がなくなることで、少なくともマルクス的な経済的側面からの革命の説明はつかなくなる。一方で、ケインズ的な政府による総需要管理というものも必要なくなり、経済を政治から完全に独立させることが可能になる。それによって、経済自体はより”科学的”に観察が可能になるのだろう。ただ、個別財が希少性をもつとしたときに、それを科学的に評価可能なのか、というのは疑問であるが、希少性を持たない大量生産品については、マルクス的な”科学的”経済学が可能となるのかもしれない。それは、リカード的な自然価格の説明のために用いられる部分となりそうで、一方リカード的市場価格は個別財の希少性に基づいたものとなり、それを転売目的で考えればケインズ的美人投票となるし、保有目的で考えればスミス的な労働価値説となるのだと言えそうだ。

自然価格の安定に向けて

そこに政府の役割が何かあるとすれば、自然価格の安定、つまり必需品、そして一般消費財価格を搾取なく安定水準に誘導するために何ができるのかを考えることになりそう。そして、それは、企業サイドで考えれば、改善的な漸進的技術革新による生産コストの削減という部分と相性が良さそう。現状では労賃を含めたコスト削減ありきでのこの技術革新となっていそうだが、それを労賃以外の純粋原価部分の削減に焦点を絞ることで、原価削減の労働価値が正当に評価されるようになる。そして原価削減の主たる手法となっている子会社・関係会社からの調達価格の削減という手法については、会社間の資本関係をなくすことにすれば、部品供給者の自発的な市場価格設定となって、市場メカニズムとは言い難い親会社による購入価格設定という労働価値説を無視した非市場的要素をなくすことができそうだ。

依然として残る謎 市場価格の定まり方

一方で、市場価格に関しては、シュンペーター的な技術革新が行われる場所となり、そこで財、そしてそれを生み出す労働の希少性が評価の対象となる。この部分に関しては政府のできることは限定的であるが、独占禁止法的、つまり組織的な市場価格への介入を排除することが必要になりそう。組織が関与できるのは自然価格の方だけであり、市場価格については、組織という集団の生み出す希少性が個別評価し難いので、組織の関わる市場価格という考えは成立し難いように感じる。この区分けが明確になることで、市場メカニズムの分析はさらに深く行うことができるようになりそう。すなわち、具体的な財とならないサービス市場をどう考えるのか、といったことは、さらに考察を重ねる必要があるだろう。

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