見出し画像

春の悪魔

わたしは整理整頓があまり得意ではありません。
日頃からこまめに片付けていれば、部屋はさほどちらかることもないはずですが、そのこまめさに欠けるため、突発的に祭りのような大掃除に踏み切ります。
そう、我ら収納下手たちにとって大掃除とは悪魔払いの祭りであり、独特のテンションの高まりと儀礼的な動機付けがあって初めて可能となるのです。

まず目の前に圧倒的体積をもって立ちはだかるのは、紙類。
反故にしたスケッチ、ラフ、覚え書きから、捨て忘れのダイレクトメール、期限の切れた割引券、保証書などなど。
これは要る、これは要らない、と山にして分けていたつもりが、いつの間にか一緒になってわけがわからなくなることがありませんか。古い写真や手紙、文庫本やマンガを見つけてついつい読みふけってしまうのも、悪魔の誘惑のしわざかもしれません。

紙袋が多いのにも驚きました。
きれいなショップバッグはあると重宝ですが、しかし限度があるでしょ、こんなにいらないでしょ、という大ボリュームが、物入れから引き抜こうとすると雪崩となって迫ります。しかも伊◯丹の袋が多い。わたしは決して伊◯丹のヘヴィーユーザーではありません。あのチェックの模様は溜め込んでおきたいという欲を引き起こす、人をたらす魔力があるのでしょうか。

収納スペースの暗い闇の世界から白日のもとにさらし出したもろもろを、嫌が応にも片付けるなり処分して調伏するのがこの祭りの目的です。
手放すものあり、またどうにも判断がつかず、一度取り出したものをまた元の場所に戻すという、一見不毛な営みも少なくありません。
しかし、悪をすべて排除した世界が果たして良いのかどうか。
矛盾しつつも共存する形で和解することだってありうるのです。
片付けは通り過ぎた時間を振り返り、「物」に自分自身を投影する節目の儀式と言えるでしょう。

春の日差しに温められた空気は、新しい何かを始める後押しをしてくれます。
片付けをして、気持ちを切り替えるきっかけになるといいな、と思います。

画材費、展示運営費、また様々な企画に役立てられたらと思っています。ご協力いただける方、ぜひサポートをお願いいたします。