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ハルモ二と金木犀(余白手帳8号掲載)

「余白手帳」8号に掲載して頂いたエッセイ
「ハルモ二と金木犀」です。(2024年2月上旬発行)


「余白手帳」は東京都内の韓国文化院や、韓国専門ブックカフェのチェッコリ様等に置かれているフリーペーパーです。

7号掲載のエッセイはこちら


編集の女性が、毎回素敵なレイアウトで飾ってくださるのがありがたくて。

今回のプロフィール写真はこれ!
文章からキンモクセイの香りを感じていただけたら幸いです。

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ハルモニと金木犀

 

―韓国のゲルマニウム温泉―

日本には多くの温泉があるが、朝鮮半島各地にも様々な温泉がある。長く住んだ忠誠南道地方には硫黄を含む温陽温泉やラドンを含む儒城温泉があった。現在居住している全羅北道の高敞郡にはソクチョン温泉というゲルマニウム温泉がある。韓国でも珍しい泉質に惹かれたお客さんが遠方からやってくる。日本の温泉施設を参考にした建物の造りで、暖簾もあれば露天風呂もある。「日本風」を察知した韓国人のお客さん達がかつて旅した日本の温泉について語り始めるのはいつもの事だ。


 温泉周辺にはシルバータウンが造成されており、韓国の都会や外国から移住した定年世代のご夫婦が多く住んでいる。購入するマンションの種類にもよるが、住人は温泉券が無料又は割引きになるので、平日の温泉にはシルバータウンの御婦人方が多くたむろしている。ひとり露天風呂につかっていると、彼らの立派な子供さん達の話やソウルに所有する高額な不動産等、景気の良い話が聞くつもりが無くとも耳に入ってくる。声の大きさゆえだろう。

 

―露天風呂の艶話―

 ところがある日の露天風呂は様子が違っていた。連休の最終日でいつもは仕事に出ている女性達の休日だったせいだろうか、聞こえてくる話は平素より猥雑で色気があった。日本でも江戸時代の風呂屋や湯治場でのあれこれが物語になってきたが、身体が緩むと言わぬつもりの事もポロリとこぼれてしまうのかもしれない。


 ある50代とおぼしき女性が言った。「しんどい思いをして働きたくない」 だから御主人に夜の生活に課金してもらうのだと。また彼女は「夫からお金をちょろまかす方法」のあれこれを明るく披露した。周りにいた60代70代の女性達が湧いた。「亭主にゃわかりゃしない」の笑い声が上がった。露天風呂はひょうたん型でその人達とは対角線上最大の距離があったが、耳元で話しかけられてるようによく聞こえた。女性客のお喋りの声が大きいのはいつもの事だが、その日は特に賑やかだった。

 

―コシギの歌―

 私は露天風呂の端でぼんやりと庭木の金木犀を眺めていたのだが、艶話は更に盛り上がを見せた。なんと一人のハルモ二(おばあさん)が立ち上がって歌い始めた。全羅道の方言に「コシギ(あれ)」という言葉がある。その「コシギ」を絶妙に散りばめた歌だった。日本語でも「あれ」という言葉が隠語をぼかすために使われるが、韓国でも同様の使われ方をする。

 



『お爺さんが草刈りに行きました。草を刈ろうとしたら、間違えてコシギ(アソコ)を切っちゃいました。飛んでったコシギを拾った仙女がおじいさんに聞きました。「この金のコシギがお前のか?それともこの銀のコシギがお前のか?」 おじいさんの「どっちも違います」に仙女は感激して言いました。「おお正直者よ!この金のコシギも銀のコシギも与えよう」 おじいさんは言いました。「要りません。三つもあったらコシギ(アレ)する時紛らわしいから」』

 

周囲の女性達は歌のオチに大爆笑した。昔話が混じった歌はハルモ二の即興らしい。素っ裸のハルモ二が踊りながらこれを歌い、周りのアンコールに応えて更にもう一度歌った。ハルモニの指の形が「コシギ」という時だけ鉤型になっていたのが、やけにリアルで可笑しかった。


 露天風呂には親と別に入ってた4歳、5歳、7歳の女の子達がいて、お猿のようにキャッキャッと弾むハルモ二達をじーっと眺めていた。きっと誰かが後で母親に「オンマ~コシギって何?」と聞くだろう。何なら家でコシギの歌を歌って大人を青ざめさせるかもしれない。また私の両脇には都会から来た30代前半位のお洒落なアガシ(娘さん)がいた。「今の歌、何言ってるんだかさっぱり分からなかった」と二人が顔を見合わせていた。うちの町のハルモ二達は結構な方言で話すのでソウルの人には通訳が必要になる。

 

コシギコシギ(アソコアソコ)と笑うハルモ二は、「そんな事言っちゃいけません!」ワードを面白がって連呼する小学生男子のようだった。生殖も子育ても全て終えた世代の女性が温泉で無邪気に遊ぶ姿は、アクの抜けた蕗のようにすっきりしてみえた。私の住む地方では蕗をゴマ和えのナムルにして食べる。しっかり歯ごたえがあり濃厚なのに透明、かつ栄養もあって美味しい。ハルモニ達の作る料理はハルモニ達に似ている。


 
 ともあれ歌い踊るハルモニはとても楽しそうだった。そこは既に温泉だったが、底抜けに明るい笑いの渦からまた別の温泉が吹き出したかのようだった。この温泉に10年通っているが、こんなカオスな宴は初めて見た。

 

金木犀は「あれ」の香り

 近場に住みながら混雑が予想される連休最終日に温泉に行ったのは、実は金木犀のためだった。露天風呂の庭木の端にあまり大きくない金木犀が数本あった。韓国ではメジャーな花ではないようで、目にとめる人は誰もいなかった。けれどある秋、あの特有の香りで金木犀の存在に気が付いて以来、より頻繁に足を運ぶようになった。日本のそれより花は小さく香りも控え目だったが、あの香りに故郷の友達と再会したような懐しさを覚えた。何故これほど惹かれるのか不思議だった。金木犀に絡めた小説や詞が日本には幾つもあるから、その思い出のせいかと最初は思っていた。しかし金木犀のことを調べてみるとそれ以外の理由が分かった。それは日本のアラフォー世代の匂いの記憶に関することだった。

 

 沈丁花、クチナシと共に金木犀は日本の三大香木の一つだ。1970年代80年代日本の家庭にまだ汲取式トイレが多かった頃、金木犀はよくお手洗いの脇に植えられた。またその時代、トイレの芳香剤の代表的な香りが金木犀だった。それらの理由から金木犀はなんと便所花と呼ばれることもあったという。つまり金木犀は「あれ」の匂いだったのだ。ちなみに日本でも若い世代はそう思わないようで、ドラッグストアには金木犀のハンドクリームやフレグラスが多く並んでいる。金木犀からお手洗いを連想する日本人は時代と共に減りつつある。しかし忘れがたいわけだ。オシモの記憶とがっちり結びついているのだから。恰好良くはなくともただ懐しい。女の子が毛糸のパンツを履いていた昭和の古い記憶だと思う。

 

―温泉のような歌―

 ともあれ晩秋の温泉で歌い踊ったハルモニが忘れられない。人前であけっぴろげに自分を表現する年輩の韓国人を目にすることは近頃少なくなった。私が韓国に住み始めた90年代、他人の視線を気にしない豪快な韓国人は珍しくなかった。現代のスマートになった韓国では、そういった粗削りな率直さや大胆さをみっともないと見る向きがあるかもしれない。韓国は急激な近代化にさらされた国であり、世代間の意識の差が実に激しい。目上の人を敬う伝統を持つ韓国であっても、今やお年寄りの大声は若い世代に敬遠されがちだ。しかし他人の視線に臆することなく自分を表現する姿には、驚きと共にある種の尊敬を覚えざるをえない。露天風呂というステージでそこにいた全ての女性客の視線を一身に集めて笑い、かつ笑わせたハルモニはたいしたものだと思う。



 あのハルモ二の姿はその後一度も見ていない。あれは金木犀に住む仙女が開花の時だけ見せてくれたつかの間の幻だったのだろうか。 今や金木犀に思いをはせると少女時代に好んだ詩よりもあの出来事を連想する。韓国で刻まれた思い出はいつもやけに色濃い。甘やかな香り漂う日の愉快な「コシギの歌」を思い出すだけで、まるで温泉に入った時のように身体も心も芯から暖くなるような気がする。

 

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