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350.Yasmineさんの「神話を体験するイナンナの冥界くだりWS」体験

「闇を見ない」ということは「光を見ない」ことだと、身体でわかる。
「闇を恐れる」ということは、「輝くことを恐れる」ことだと、身体でわかる。
どちらの制限も手放したとき、闇も光も輝き、融合し、完全となって、ひとつになる。
その体感。
 
闇の中にあったひかり。
今まで切り離していた美しさ。
 
(自分の中に認めていい)
(自分だと思っていい)
 
手放すことで統合されることを体験した。
 
「冥界下り」は、身に着けた武装をほどいて、むきだしの自分を抱きしめて、その本質に出逢い、ギフトを受けとる旅。
 
ひかりの誕生。
 
(本文より)
 
************
 
ここ半月ほど、「ヒロインの旅」や、シュメール神話の「イナンナの冥界くだり」のことをブログに書きたくて、どんなふうに書こうかと、そのことばかり考えているので、「イナンナの冥界くだり」の波動が、宇宙にだだもれになっているのだと思う。
夜のしじまの中、なみえちゃんから、届いたメッセージには、まさかの「神話体験ダンス・WS イナンナの冥界下り」の文字。

そのようなものが、マイブームのタイミングで開催されるなんて、思いもしなかった。
 
~WSの案内文の抜粋~
 
自分の内側の深い冥界に降りる事で蘇る、終わりと始まりの物語。
 
1年で最も夜が長く、闇が極まり光に転じる冬至の夜にこの神話を自分の人生の物語として体験する事で自分の中の闇を抱きしめて光に変えましょう✨

“ 陰極まりて陽となす “
 
一度裸の自分になって必要の無くなった荷物や過去を手放し、スッキリと1年を終わらせる事で
まっさらな状態で来年のはじまりに向かえますように

 
****************
 
毎年、冬至に開催されているという。
しかも、今年は初めてのオンライン開催とのこと。
 
「それぞれの安心できる場所から神話の世界へ繋がりましょう。
振付は一切ありません、瞑想的に自分の内側と対話し即興で踊れる様に導きます」

と書かれている。
 
ダンスなんてしたことないし、苦手だし、やりたくないし、絶対にいやなことだけど、冬至に「イナンナの冥界下り」の神話体験に巡り合えるなんて、
 
〈奇跡!〉
 
先日、「これからは制限をはずす」と決めたばかりなので、抗わないことにする。
 
主催されるYasmineさんのFBを見て、幻想的なカバー写真にうっとり。
とても美しく、チャーミングなかたで、肩書は、舞踏家・女神ダンスと書かれている。
私の生活において、絶対に交わらない世界にいる人なのに、飛び込めたのは、冬至のエネルギーだと思う。
 
そのかたがされているワークショップの内容など、事前に調べればよかったのだけど、直前で時間もなく、なんの予習もしないまま、ワークショップの時間になってしまい、zoomの画面に入ってびっくり。
 
みなさん、冥界下りのダンスにふさわしく、部屋の明かりは落とし、ムーディな感じで、衣装もとっても薄着。(あとでわかったけれど、ボトムスは、ひらひらして、とっても女神的!)
 
それなのに私ときたら、非常に寒かったので、もこもこのセーターを着ている上に、zoomの背景は、いつも使っている、煌々と明るい、翼のバーチャル画像。
これから、冥界に下る儀式をするには、〈間違えて入室してきたかのようなアウト感〉で、場違いにもほどがありすぎ(滝汗)
 
あわてて、最初にやったのは、明るすぎるバーチャル背景をオフにすること。
次にやったのは、部屋の照明を落とすこと。
 
ところが、部屋を暗くすると、パソコンのデスクトップ画面しか光源がないため、感度の悪いウェブカメラでは、顔の輪郭だけがぼんやり浮き上がるという、ゴースト状態になり、自分でも怖すぎて、あわてて、照明を点灯。
 
すっかりスタンバイOKのみなさんの中で、バタバタチカチカ挙動不審でごめんなさい。
すでに、どうしていいかわからない状態なのだけど、
 
(もう、降りられない)
 
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WSは2部制になっていて、前半は「準備体操」
後半の神話劇で、自由に踊り、冥界に入っていきやすいよう、基本的なダンスの型のレクチャーをしていただく。
 
最初に、しっかり第一チャクラをひらいて立つポーズ。
グラウンディングが大事だと思い当たるとともに、足の筋力がないことに愕然とする。
 
重心を移動するたびに、バランスをくずしてよろけそうになるし、腕は50肩であがらないし、骨盤はぜんぜん動かないし、速攻、画面オフ。
ついでにセーターも脱ぐ。暑い!
指の動きだけ、覚えてまねすることができて、女神になれて、ちょっと嬉しい。

ちなみに、私以外のみなさんは、ふだんから踊っていらっしゃるのか、コスチュームも素敵で、暗がりの中でもしなやかな動きが、女神! 
美しい~。
誰ひとり画面のほうは見ていない。それぞれの世界に没頭されているのがわかる。
 
私は、Yasmineさんの動きを見ないと踊れないので、画面をガン見。
骨盤って、片方だけが、こんなに上がるのだとみとれる。(私の骨は無理)
つま先がつりそうになり、無理はやめておく。
 
準備体操が終わり、小休止のあと、いよいよ、「イナンナの冥界下り」の現代版の神話劇が始まる。
 
(女性は、からだに叡智が宿っている)
(からだの赴くままに動かすと、神話の叡智を細胞自体がうけとれる)
 
Yasmneさんの言葉に、ゆだねて「からだを動かそう」という気持ちになる。
思考ではなく、細胞に届くように。
 
***
 
Yasmineさんの声が素晴らしく、現代版にアレンジしたという脚本が素晴らしく、音楽が素晴らしく、とてもミラクルな体験をした。
 
冥界におりていく天界の女王イナンナが、冥界に向かうための守りとして身につけたものは、王冠・首飾り・ラピスラズリの数珠・金の指輪・腕輪・耳飾り・女王の衣。
 
それらは、次々に、門番によって、7つの門ではぎとられる。
王冠や、首飾りは、現代の女性において、何を象徴しているのか。
 
それが、神話劇中で、次々に明かされ、手放すことを余儀なくされる。
プライドや、安心安全な居場所や、過去の栄光……
最後に、衣がはぎとられ、全てを失い、むきだしになったときに現れるもの。
 
天界の女王イナンナと、冥界の女王エレシュキガルが、置き換わるように一体になる体感。
 
イナンナとエレシュキガルは一つであることを(神話においても象徴されているけれど)、文章としての理解ではなく、身体で感じられたミラクル。
 
実際に、自分のからだにふれること。ハートにハグすること。
 
「闇を見ない」ということは「光を見ない」ことだと、身体でわかる。
「闇を恐れる」ということは、「輝くことを恐れる」ことだと、身体でわかる。
どちらの制限も手放したとき、闇も光も輝き、融合し、完全となって、ひとつになる。
その体感。
 
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神話劇の中で、イナンナとともに死んだときにわかったこと。
 
「母のいやなところ、苦手なところ、みたくないところ、受け入れられないと思っていたことは、自分の中にあるものだった」ということ。
母に転嫁して、自分を守ったつもりになっていたけれど、そうではなく、自分が分断されていたことを(これまでも知識としてはわかっていたけれど)、初めて受け入れることができ、〈母ではなく自分の中にあると認められたこと〉で、欠けていたパーツが戻ってきた全体感。
 
それを、体感した。
感じると同時に、色がみえてきた。
 
まず、暗闇は夜空になり、闇なのに冴えわたり、すみずみまで見えてきて、銀河のような、星雲のような、星々の煌めきが、いちめんに、とめどなくふりそそいでいる。
 
次に現れたのは、ラピスラズリのような青。琥珀のような黄色。
 
それが、花のように上部に現れ、鉱石の中の欠片のように煌めいている。
点滅している。動いている。躍動している。 
 
神話劇の音楽がとてもよくて、それによって、色が視える。
まるで目をあけているように、スクリーンに美しい色が投影されている。
 
闇の中にあったひかり。
今まで切り離していた美しさ。
 
(自分の中に認めていい)
(自分だと思っていい)
 
そんなふうに感じた。
 
手放すことで統合されることを体験した。
「被害者意識」や、「お母さんのせい」を手放すと、切り離されていた自分が戻ってくるなんて。
 
「冥界下り」は、身に着けた武装をほどいて、むきだしの自分を抱きしめて、その本質に出逢い、ギフトを受けとる旅。
 
ひかりの誕生。
 
***

シェアタイムは、闇の自分と向き合うことで手放したものと、受け取ったギフトを、言葉にして、声に出して、かたちにする、祈りのような美しい時間。
 
(あなたは、わたし)
(わたしは、あなた)
 
先生の声が音楽のよう。
 
浜田えみな

344.『ヒロインの旅』~イナンナの冥界下り~|ことだま師🄬・LAS式ソウルコーチ 浜田えみな|note


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