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ペルー旅行記 〜リマ市内観光〜

 母とペルーに旅行に行くことが決まったのは、2014年の秋頃だっただろうか。本当は父が母と一緒に行くはずだったけど、父は地球の反対側まで遠征するのに乗り気でなかったため、旅のお供として娘の私が選ばれたわけだ。母とふたりで旅行するなんて初めてだし、若い頃はそれなりにわだかまりを抱えていたこともあったわけで、引き受けるのに少し不安を感じたものの、マチュピチュを見に行けるという魅力がその不安に圧勝した。そうと決まって以来、母は張り切って旅計画を立て、飛行機やホテルを予約してくれた。時々、このホテルはどうかと相談されたりはしたものの、仕事が忙しかった私は旅の計画はすっかり母に任せきりだった。その全体像をやっと把握したのは、メキシコシティーからペルーのリマに向かうフライトでのことだ。ずいぶん移動が多いんだな、と知らない街の名前に目を通しながら思った。マチュピチュに到達するのはまだまだ先だった。

 ペルーのホルヘ・チャベス国際空港に到着したのは8月27日木曜日の夜の21時近くだった。6時間のフライトに疲れきっていた私と母は、タクシーをつかまえるとまっすぐリマのミラフローレス地区にあるホテルへ向かい、シャワーを浴びてベッドに入った。街を探索するのは明日から。母と娘、二人きりのペルー旅行が始まる。

 リマは、南アメリカ大陸に位置するその他の多くの国々と同様に、300年近くに及ぶスペインによる植民地支配を受けた歴史を持つ国ペルーの首都である。人口は約800万人。政治、文化、商業などの中心地だ。その名前は市内を流れるリマック川に由来する。リマックとはインカの民の言葉であったケチュア語で「おしゃべりをする」という意味で、スペイン人がやって来た時に、リマックがリマに聞こえたため、街の名前がリマになったのだとか。ケチュア語は現在ペルーの第二公用語である。

  私がペルーに来る前に知っていたことといったら、マチュピチュやナスカの地上絵があること、「コンドルは飛んでいく」が生まれた国であること、カラフルなアンデスの民族衣装があること、インカ文明が興った国であること、スペイン語圏であることぐらいだったように思う。南米は日本から見ると地球の反対側に位置している。関心の低さと距離の遠さは比例するものかもしれない。

 翌朝カーテンを開けると曇天の空だった。タクシーの運転手が、リマは一年中曇っていて、それでいて雨はまったく降らないんだと言っていたっけ。ペルーを知る旅は、翌日のシティーツアーから始まった。観光客20名ほどでバスに乗り、市内を廻りながら、ツアーガイドが英語とスペイン語両方で説明してくれる。午前8時頃にホテル前から拾われて、参加者が全員揃うまで別の場所で待った。バスの窓から外を覗くと、すぐ脇に砂色をした巨大な遺跡が見えた。市内観光はここから始まるのかな、と期待したけれど、いざバスが出発すると、ずんずんとその遺跡から離れてしまった。残念。後から調べると、そこはワカ・プクヤーナという最近になって発掘された遺跡で、インカより前、5世紀頃に発展したワカという文明の遺跡だったようだ。

 シティーツアーで回ったのは、ペルー中央準備銀行博物館、セントロ地区にあるアルマス広場、大聖堂、そしてサンフランシスコ教会。政府宮殿ではラッキーなことに楽隊の演奏を見ることもできた。植民地時代から残る美しい西洋建築が囲むアルマス広場はとても大きくて、多くの観光客で賑わっていた。政府宮殿はポーランド人の建築家によって設計されたそうだ。ガイドの説明にポーランド人の名前が出てきて嬉しくなった。戦後のポーランド移民は南米まで到達していたのか。

 一番楽しかったのはペルー中央準備銀行博物館だ。地下一階の考古学エリアでは、紀元前200年頃からインカ時代までに起こったさまざまな文明ごとに、土器や織物、黄金の品々が展示されている。日本の縄文文化の土器とはまったく違った、ユニークな形の土器が多く、見ているだけで楽しかった。多くは壺なのだが、形はピューマや人間、かえるなど、動物の形を無理やり壺にしている感がある。当時の製作者のことを考えると、思わず口元がにやけてきてしまった。またカナダ人の収集家ウゴ・コーエンが自身のコレクションをすべて博物館に寄贈したという黄金コーナーも圧巻だ。その中でもやはり目が止まってしまうのは、金で作った小さなリャマ像や、貝殻に金を貼り付けたもの。現代でもアクセサリーや小物であったら可愛いなと思うものばかりだった。

 リマの旧市街、セントロ地区の観光が終わると、バスは植民地時代の面影が残る家々が立ち並ぶ通りを走った。現在では世界遺産に指定されているそうだ。それからツアー客をそれぞれ希望のレストランに下ろして市内ツアーは終了した。

 ペルーにやってきて一番最初のまともな食事!ペルー料理とやらを堪能するぞとばかりに、張り切って入ったのはシーフードがメインのレストラン。ビール好きとあっては、地ビールにも挑戦しなくちゃ。母は旅行前にペルーに旅行に行った友人たちからたくさんのペルー情報を仕入れていたので、ペルーといったらこれ!というドリンク、ピスコサワーを注文した。ピスコというのはアンデスで作られているブドウから作られた蒸留酒。これをストレートで飲むことはあまりなくて、ライムジュースや卵白を泡立てたものを入れたピスコサワーというカクテルでいただくのだ。

 あれこれ悩んでセビーチェとシーフードフライの盛り合わせを頼んだ。まぁ実際は、どんな料理が出てくるか、テーブルに届けられるまで分からなかったんだけれど。セビーチェはペルーではインカよりも前の文明から食べられている料理で、生魚にスライスされた野菜やソースがかかっているもの。カルパッチョみたいだ。ペルーでも日本みたいに生魚を食べるのね。それもそのはず、リマは海に面した街だ。ペルー=アンデスのイメージが強かった私にとっては、なんだか新鮮だった。リマの海で採れた新鮮なシーフードもどれも美味しかった。ペルーのビール、クスケーニャもうまい。その国の料理を楽しめるのは旅の大事な要素。満足満腹でレストランを後にした。


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