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ウズベキスタン旅行記①~出発前夜~

5月に10日間ほどウズベキスタンに行ってきました!それがとても強烈な体験になったのだけど、友達や家族へのお土産話ぐらいじゃ全然それが伝えきれないので、忘れないうちに旅行記をまとめたいと思う。

なぜウズベキスタンに?

私がウズベキスタンに行きたいと思ったのにはいくつか理由があった。ウズベキスタンというか中央アジアに強い憧れがあったのだ。古くからシルクロードの経由地点として栄えた中央アジアはまさに西洋と東洋が入り混じる場所。民族も多様な地域だ。昔ポーランドに留学した時に寮で出会ったカザフスタン人は、とても親近感のわくルックスだった。それは「私に近い」という感覚だ。私は日本(アジア)とポーランド(ヨーロッパ)のミックスなので、この地理的にもヨーロッパとアジアの間に位置する場所にハーフみたいなルックスの人たちがいることに俄然興味が湧いたのだった。

ポーランドとのミックスの流れで付け加えたい理由がもう1つ。ポーランド人の祖母は昔、ウズベキスタンの首都タシケントにいたことがあった。第二次世界大戦が始まった時、11歳だった祖母は旧ソ連が攻め込んだポーランド東部に住んでいたため、多くのポーランド人と同様にシベリアへ連行され、強制労働を強いられた。祖母はその話をよく話してくれたけど、シベリアの後に連行されたタシケントについては良い思い出が残っていたようだった。貧しい日本人捕虜に会った、とか、果実の収穫の話とか。メロンがとても美味しかったとも話していたな。祖母は私にとって特別な存在だったので、いつかシベリアを含め、祖母がいた場所を巡りたいと思っている。タシケントはその一歩目になるだろう。

中央アジアに惹かれていたもう一つの理由はマニアックだけど『風の谷のナウシカ』。『風の谷のナウシカ』の原作漫画を読んだ方なら分かるかと思うけど、ナウシカは自らを古エフタルの民であると名乗る。物語の終盤でも「古いエフタルの言葉を話す」と記述されている。私は物心つくかつかないかの頃からナウシカマニアなので、受験勉強で世界史の勉強をしていた時、5〜6世紀にかけて中央アジアを支配したエフタルという遊牧民族がいたことを知って大興奮だった!宮崎駿氏はナウシカの舞台を中央アジアに設定していたのか!それもそのはずで、中央アジアの砂漠地帯の風景はナウシカの世界観そのままだし、土鬼も風の谷の民もみんなそっちの方の民族風だ。エフタル自体は文字を持たなかった上、1世紀弱で国が滅んでしまった幻の民族。エフタルが支配した地域にはほぼすっぽりウズベキスタンが収まる。これはウズベキスタンに行くしかないではないか。

そんなわけで色々と個人的な行きたい理由があったウズベキスタンだが、最終的な決め手となったのは『世界のはてまでイッテQ』でイモトがウズベキスタンへ行く回を見たことだった。笑 青のモスク群や建物が美しすぎて、めっちゃ綺麗やん!となり、長年のパートナーTちゃんと行くことが決定した。ツアーで行くか、個人で行くかも散々悩んだけれど、ツアーにはワクワクが足りないという理由で個人で行くことにして、飛行機や宿を手配した後はドキドキしながら出発日を待った。

〜続く

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