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砂漠/沙漠


 ウィキペディアの定義。すなわち、ごく一般的な、地理学上の定義として。

 砂漠(さばく、沙漠)とは、降雨が極端に少なく、砂や岩石の多い土地の事。 年間降雨量が250ミリメートル以下の地域、または降雨量よりも蒸発量の方が多い地域などの定義がある。地球上の陸地に占める面積は19億ha〜34億ha(約20%~25%)に及ぶ。植物がほとんど生息せず、水分も少ないため、気温の日較差が激しい。よって農業には適さず、人間の居住が難しい地域(アネクメネ)である。砂漠地は岩石(メサ、ビュート)・礫(れき)・砂・ワジ(涸れ川)・塩湖などで形成され、砂漠地の中で水が得られる希少な場所は人などが生息できるオアシスとなる。


注) 砂漠と沙漠とはじつは違うので、「沙」とは読んで字のごとく「水が少ない」ってことだ。必ずしも「砂」だらけとは限らない。中央アジアの乾燥した草原地帯などは「沙漠」である。


 ここからさらに、文学的/哲学的に発展して、「砂漠」はさまざまな意味を帯びていく。どうもヨーロッパ圏の文学者やら思想家たちは、砂漠に心惹かれるようだ。この感覚はあるいは湿潤な風土に暮らす日本人にはわかりづらいかもしれない。


 モーリス・ブランショ(Maurice Blanchot 1907年~ 2003年)

 その「中断」「間歇」「中休み」「ずれ」、そして「裂け目」は、また「砂漠」とも「地獄」とも呼ばれる。ニーチェは「砂漠が広がる」と言い、ハイデガーは「砂漠」を「思考するべき思考されざるもの」と呼んだ。それはまた人間たちの「断片」が散らばる戦場でもあって、ツァラトゥストラはそこで踊るのだ。

☆☆☆☆☆☆☆

ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard 1929年~2007年)

 アメリカの文化は砂漠を受け継いでいる。砂漠は、人間の全構築物の背後にある空白、根底的にむき出しの状態をしめすものだ。
 砂漠は空白のメタファーとしての人間の構築物を表し、そして、砂漠の広がりとしての人間の営為、蜃気楼として、またシミュラークルの永遠性としての文化を表すのだ。
 ここは気取りのない国だ。原始社会といってもいい。もろもろのテクノロジー、マスメディア、全面的なシミュレーション(バイオ、社会学、ステレオ、ビデオ)は原始状態で、原初的な状態で広がっている。
 ばかでかい無意味さ。砂漠は中心都市のなかにおいてさえ、原風景をなしている。空間は途方もなく広く、言語や気質は無造作だ。私が探求を行う場所、それは砂漠や山々やフリーウェイやロサンジェルスであり、セーフウェイやゴーストタウンあるいはダウンタウンであって、大学の研究室ではない。
 

☆☆☆☆☆☆☆

エドモン・ジャベス(Edmond Jabès 1912年~1991年)

日本版ウィキペディアより(一部の語句を編集)
 詩人。1912年にエジプトのカイロでイタリア系ユダヤ人として生まれ、フランス語教育を受けて育った。1957年にナセルが政権をとったことから、エジプトを去り、フランスに移住。1967年にフランス国籍取得。ブランショとは似て非なる方法で文学の限界・言語の限界に挑んだ。彼の初期の詩集には、シュルレアリスムの影響が著しい。砂漠、書物、ノマド、砂、ユダヤ人、空虚、井戸などを存在、言語などの隠喩として好んで使い、そのトーラー解釈の註釈の如き断章形式の作品には、彼独自の砂漠の思想が結実している。




参考画像。80年代バブル(の発生と終焉)を予見したサントリーのCM。「ランボー、あんな男、ちょっといない。」

旅芸人


 このCMに触発されてぼくが高校の時に書いた詩。

旅芸人の記録


彼ら四人 うち揃い

聖と賤のあわいを歩むもの

大女 身の裡に存在と無を充填し

火吹き男 言葉で辺りを焼き払い

怪力漢 なべての法と桎梏を破砕

矮人 認識か蝗の速さで跳ね回る

彼ら四人 入り乱れ

ソグド商人も通わぬ砂漠の果てを

劫罰のごと 流浪してやまず







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