広告とクラムボン 於ABC

金曜23時過ぎに六本木で打合せが終わり、解散したら目の前のABCがまだ開いていたのでなんとなく吸い込まれた。
ここ1〜2ヶ月、書店に行っても「なんか、急激に雑誌への興味が失せたな」と自分自身で感じていた。(そのぶん、書籍はよく読むようになっているが。)それは、‘出版社のひと’じゃなくなったからなのかもしれなかった。なんだかんだいって、今までも‘仕事だから’多くの雑誌を見ていたに過ぎなかったのかもしれない。
でもおかしいな、昔は本当に雑誌が好きだったんだけどな。

ひっさびさに入った六本木のABCは、雑誌・書籍問わず、本たちがすごい気迫で「ね、おもしろそうでしょ クフフ」と囁きかけまくってきて、クラクラした。やっぱり、本屋も服屋や、そもそも人付き合いと一緒だ。趣味が合ったり、発見をくれるお店のあり方ってのが、人それぞれにあって当然。

直前までの打合せのなかでもキーだったクラムボン。彼らが特集になってるユリイカと、私の尊敬する兄貴的存在が今度から一味になるという「広告」がたまたま目に入ったので、迷うことなく買った。

クラムボン特集は、寄稿文を読んでるだけで現在の日本の音楽家や文化をつくってる人たちの片鱗みたいなものにふれることができちゃう感覚。藤田さん、牛尾さん、飴屋法水さんと郁子ちゃんの対談… (私が最初に開いたページはtoeの山さんだった。多すぎる注釈にミトくんへの愛が溢れすぎている)
昔はよくこういう、いきなり説明なく既にある人と人の関係性を前提とした読み物って、あったよなあ。と。今はすっかりハイパーリンクの時代で、記憶の外部装置化みたいなことばっかりだけど、やっぱり自分はこういう「どうだわかるか」みたいな態度の文章のかたまりのほうが、好きだな。

「広告」は、テン年代トーキョー女子みんな大好き、尾形真理子氏が編集長になって、もうとんでもない本に、またまたなっていました。
紙が、すごい。うっかりしてると紙に負けて手がきれそう(保湿しよう)。
企画毎のページレイアウトやら紙の選定やらタイポやら、徹底的に‘PDFじゃない’世界。

ちなみに自分はとくに2002〜2003年頃の、いまでいうまさに‘ソーシャルイシュー’的なことを取り上げていた時代と、その次の嶋さんが手がけられていた時代の「広告」の愛読者でした。あのときの「名古屋特集」は、私が後に広告会社で名古屋勤務になるという展開に深く影響していた、と、勝手に思っていますが。あはは。

久々に「ああ、この雑誌、買ってよかった」って思えて、なんだかちょっと嬉しかった夜。

(続きはありません。noteということで一応、下に投げ銭箱だけ用意してありますが、特にお気になさらず。ありがとうございました)

ここから先は

0字

¥ 100

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?