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知覧特攻平和会館

たまたまだけれど、知覧特攻平和会館の2021年最初の入館者は私だった。知覧でもまた不思議な出会いがあった。今日はそのエピソードを書きます。

2021年1月1日、私は鹿児島で新年を迎えた。屋久島を出るのが1日遅れたので、旅の日程を1日増やして鹿児島に一泊していた。せっかく鹿児島にいるのだから知覧に行こうと決めた。

地図上だと知覧はこのあたり

知覧を訪れるのはこの時で3回目。たびたび訪れたくなる場所。初めて訪れた時、展示されている『書』の美しさに感動した。私も3年間書道をやっていたから書の難しさは良く分かる。

特攻で死んでいった方々は私よりも若い20歳前後で命を落としてる。美しい書を書くには人間力が不可欠。書に限らず表現というものは総じて、その人自身が強く表れる。

あくまでも私の基準だけれど、見た人を感動させるような書を書ける=精神性が高い人、ということになる。きっと特攻の方を含め、あの時代を生きていた日本人たちの精神性は非常に高い。知覧に行くと、私も精一杯頑張りたい、という気に強くなる。(知覧のことは色々書きたいのでまた別の機会に詳しく書きます)


語り部の方からいただいたポストカード

知覧には鹿児島市内からバスに乗って行った。開館時間まで1時間ほどあったから周辺を散歩してまわっていた。開館と同時に入場し数時間を過ごした。途中、語り部(特攻を現代に語り継ぐ人)の方の話も聞いた。

もう、特攻に実際に行った人や訓練を受けていた人はあまり残っていなくて、この日の語り部の方も実際の当事者ではなかったけれど非常に響くものがある話だった。

30分ほどの話を聴いた後も、展示をまた見て回っていた。すると、私に声をかけてくださった方がいた。さきほどの語り部の方だった。

朝早くからお越しいただきありがとうございます。外を歩いているのを見ていました。これ良かったら受け取ってください。

こうしてプレゼントされたのが、上に載せたものを含め5枚のポストカード。特攻の方の遺書が鹿児島の写真と一緒にポストカードになっている。

恐縮すると同時にすごくビックリした。本当に嬉しかった。たぶん、赤い登山バッグを背負って歩いていたのが目立ったのだと思う。

わざわざ声をかけてきてくださった。思いがけずプレゼントまでくださった。思い切って知覧を訪れて本当に良かったと感じた瞬間。

もし、屋久島の天候が崩れなければ、飛行機や船が欠航しなければ、鹿児島にもう1泊しようとしなければ、この出会いは存在すらしなかった。

直感に従って行動したことで得られたもの。2021年早々、幸先のいいスタートだった。

いつかどこかで書こうと思っていた、知覧での出会い。知覧の出会いはもう1つ書きたいのがあるのでまた別の機会に書きます。

(完)

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