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悪口に賛同する罪

おはこんばんちは。
カメムシによってうたた寝から起こされました。
今年はガムテープ作戦。
ペットボトル作戦の方がより簡単だけど、後々がグロテスク。
ガムテープ作戦はもう2度と姿を見ないでいいということで…
ごめんなさい、カメムシさん。
家の中はちょっと_(._.)_
ちなみに最近、会社事務所でツバメが飛び回ってる。
会社の外でいつもは巣を作ってたのに、いい場所がなくなっちゃったから。
で、建物の中で巣を作れないか選定してる。たぶん。
ツバメは幸運の象徴かもしれないけど建物の中で糞しちゃうし…しちゃってるし…
時々追い出してる。
ごめんなさい、ツバメさん。
事務所の中もちょっと_(._.)_
人間は勝手です。


今日は、「悪口に賛同する罪」。
会社の同僚と話していると、悪口めいた話になることがある。
誰かの噂話が悪口めいてしまって、というか悪口に違いなくて、
しかも正義を振りかざした悪口。
“おかしいよねー”、“普通はー”、“昔からこうだった”、“家庭の問題があるらしいけど”、
”みんな嫌ってる”、”人としてどうかと思う”、などなど。
書いてても疲れる。
相手が言ってると思ってたけど、ひょっとして私が言っているのか?
少なくとも、賛同して気持ち良く話をさせてるのは確か。
私がどんどん話を引き出してしまってるのは確かだと思う。
他の人はこう言ってるっていう意見が新鮮な話だったり、自分の見方を変える話だったりして、麻薬的。
聞かなきゃいけない気がして、反応も大きくなってしまって、相手の話を引き出してる。
そうして、自分に返ってくる。
悪口に賛同した翌日は、とても疲れていて暗い気持ちになる。
今日がそうだった。
あんなに人のことをとやかく言うわけだから、じゃあ自分はどうなの、と。
悪口していた事象そのもの同じじゃなくても、
様々な自分の至ってないところ…誰かに指摘されてもおかしくないところを意識しやすくなって、
誰でもなく自分が自分に悪口できてしまう。
悪口の矢印が自分に向く。
人のこととやかく言えるくらい、私はできているのか?
人のこととやかく言えるくらい、立派に非の打ちどころがない人間なのか?
自分の至らないところは棚に上げ、甘えて、図々しく、
“だって”、”別にいいじゃん”、”放っておいて”、って開き直る。
そういう思考がめぐり、無意識下でも私を蝕み、
すっかり疲れてしまう。
自信がなくなってしまう。
自分で自分を攻撃している状況。
そもそも、誰かへの悪口を是とし、
悪口を言ったりその内容を知ったりするのは正義であるというような
大義名分のもとで堂々と悪口を見聞きしている。
醜いこと。
本質をわかってる人から見たら醜い姿だろうな。
本質…だって実際、矢印が自分に向いて自分を攻撃して
自分の悪口を言っているようなものだから。
他人への悪口は自分への悪口。
内容は違っても、自分を攻撃することになる。
そういうことをすぐ忘れて、また悪口を言ったり賛同したりしてしまう。
自分をもっと大切にしたい。
つまり、他人にももっと優しくなりたい。
悪口じゃなくて、思うことがあれば相手に言って相手の意見を聞けばいい。
どういう思考回路でその行動をするのか、意見交換をして、話し合って、
お互いに新たな思考と行動パターンを獲得したらいいこと。
陰で噂話をするのは生産性がなく、結局自分を不幸にもしてしまう。
今度こそ、ちゃんと覚えていよう。
悪口の避け方、違う話にすり替える技を磨こう。


今日も、自分を信じて。


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