見出し画像

親子の信頼関係について考える

先日不登校のnoteを書いて、たくさんの方から反響をいただいた。

コメントもたくさんいただいたのだけど、ゆっくり考えたいことがいくつかある。

おひとり、このようなコメントをくださった方がいて、信頼関係について書いておこうと思った。

私は高校1年生の時に、不登校の1歩手前という状況になりました。両親が厳しかったため、病気以外の理由で学校を休むことは絶対に許されませんでした。なので、諦めて泣きながら学校へ行っていました。丁度その頃アレルギーや腫れ物が出たりしました。今思うとストレスだったのかもしれません。気持ちを押さえつけて我慢している代わりに、体がSOSを出していたような気がします。子供側の視点になってしまいますが、学校へ行くことより辛かったのは、両親が分かってくれなかったことです。分かってくれなくてもいいので、とにかく私の話を聞いて、辛いという気持ちを受け入れてほしかったです。ですので、息子さんとの会話や、学校へ行かないと決断した経緯を読ませて頂いて、息子さんと信頼関係を築かれていることに、本当に尊敬します。

圧倒的に味方でいられるか

子どもの味方でいられるか。

もちろん、子どものために、宿題をやった方がいいと思っているのだし、学校へ行ったほうがいいと思っている。

……と、どの親も言うだろう。

だけど、子どもにとってみたら、強制的に何かをやらせる人を自分の味方だとは思えない。

言いたいことを聞いてくれない。要望を聞いてくれない。言っても無駄。そう思ったら、少しずつ親に要望を言わなくなっていく。

そうしたら、子どもは誰を味方だと信じるのだろうか。友だち? 先生? 本当に味方になってくれる友だちや先生に出会える人はラッキー。だけどそうでなかったら「いつどんな時も味方になってくれる人」がいないまま、毎日を生きなくてはならない。

「私もそうだった」と思うかもしれない。でもそれはとても生きづらかったはず。どんな時も味方になってくれる人がたったひとりいれば、人は強く生きていく力が付くのではないかと思う。

それを、自分の中に作る人もいる。ただ、それができない人もいる。

子どもも不安を感じている

長男は学校に行ったりいかなかったりしていたころ、こんな風に言っていた。

「学校に行ったほうがいいのはわかる。将来大学に行けるのか不安だ(なぜか大学には行きたいと思っているみたい)。だけど、学校には行きたくない。でも、家でたくさん勉強ができるわけでもない。どうしたらいいかわからない」

開き直っているわけではない。不安な気持ちがあっても、行けないのだ。頭で行かなきゃと思っている。体は行けないと言っている。

そんな不安な時に親から「学校へ行かないと将来ダメになっちゃうよ」と言われたら、そのとおりのことを思ってしまうだろう。そしてその言葉は、体が「行けない」と言っていることに対しては何の効果もない。

よく「死にたい」と言う

先のnoteには書かなかったけれど、長男はよく「死にたい」という。大人から見るととても些細に思えることで「生まれてこなければよかった」「どうして俺を産んだんだ」と言う。

あまりに小さなことで言うので、最初はそこまで気にしていなかった。ショックだったけれど、それほど深刻に言っているとは思っていなかった。だけど、意味もわからず言っているわけではない。落ち込んで視野が狭くなった状態で「死にたい」という言葉が頭のなかに生じてしまったら、それが最悪の事態を招くということは容易に想像できる。

それを親に言えなくなったら、非常にまずい。それが私の一番の核にあるところ。その言葉や想いとりこぼさないようにするには、信頼関係を保ち続ける必要がある。

学校に行かなくなってから、「死にたい」と言わなくなった。ほぼ毎日、明るい顔をしている(2学期学校へ数日登校したときには本当に生気がなかった)。それだけでも、万々歳だと思っている。


サポートと一緒にメッセージをいただけるとすごく嬉しいです♪