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「読みやすい文章」とは?

仕事で原稿を書くと「読みやすい」「わかりやすい」と言われることが多い。

でもそれは、とても目立たないことだ。例えばちょうどいい温度のお湯を張った浴槽に浸かるとか、段差や傾斜のない舗装された道を歩くような。つまり、人によっては「当たり前」と思って通り過ぎてしまうようなこと。でもそれが、仕事で文章を書くということでもある。

理屈がわからなくても読みやすい文章は判別できる

読みやすい文章には、いろいろあると思う。例えば漢字とひらがなの配分がちょうどよかったり、専門用語が少なかったり。

ただ、理屈は抜きにして、読んだ自分を振り返ったときに「読み返さなくても理解できた」というのはその人にとって読みやすい文章だ。

文章を読んでいる最中に「あれ、これはどういうことだっけ?」「あれ、この主語は何だっけ」と読み返さなくてはならない場合、それはまあ、読みやすいとは言えない。

読み手を快適にするのが「読みやすさ」

文章を行ったり来たりさせるのは、読み手に苦痛を強いている。本来、文章とは一本の道であるわけで。

だから、読みやすい文章を書こうとするなら「一読で理解できるか」を重視する。話題が飛び飛びだったり、一文が長すぎたり、指示語(あれ、それ)が多かったり、主語があいまいだったりすると、一読で理解できないことがある。

書き手は読み手の頭の流れを想像して、次の文章につないでいく必要がある。

読み返して修正するときに理屈を使う

とはいえ、1回でそんなにうまくは書けない。だから自分で読み直して、引っかかったところを直していく「推敲」が必要になる。

その際には感覚を信じる。読んでいて引っかかったところを直していく。

ただ、直し方は経験や知識が生きる。慣れないうちは、直したせいでさらに読みにくくなることもある。1か所を直したがために、全体を直さなくてはならない、なんてこともある。でも書けば書くほど、少しずつ、直すのもうまくなっていく。

「読みやすい」からいいというわけではないけれど

読みにくくて美しい文章もあると思う。だから、読みやすいのが必ずしも正解ではない。例えば、詩のような作品の場合、一読ですらすらと理解できなくてもいい。何度も読んで、行ったり来たりして味わってよいものだ。

ただ「読みやすい文章」を書きたいのであれば、「一読で理解できるか」を考えるとよい。日本語としていくら正しくても、一読で理解できないなら、読み手に優しくないのだ。


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