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アラフォー、免許を取る

いつでもチャレンジする人生でありたい。常々思っていることであり、長い距離を走ってみたり、いまさらロードの練習を始めてみたり、10数年来のスキーをしてみたり。

アクティビティ関係の仕事だけでなく、“普通の”(?)仕事でも、フリーランスであるからにはとやったことのないものでもチャレンジ精神を忘れずに縮こまってしまわないことをモットーにしてきた。でも、そんなわたしがいくら薦められても37歳になるまで断固拒否し続けてきたことがある。

車と煙草を知らずに生きてきた

どちらも大学生くらいにきっかけがやってくるものじゃないかと思う。わたしはたまたま、なぜかそのきっかけに出会わなかった。クラブに通ったり出演したりしていたから周りは酒と煙草が好きな人が多かったし、学校が田舎にあったから車やバイク通学の友人が多かった。でもわたしは比較的大学の近くに住んでいて、当時の彼が車を持っていたからあまり不便を感じていなかった。実家は京都の市街地で車は必要なし。2年まででほとんどの単位を取ったあとは、バイトとダンスに明け暮れていて、ほかのことにあまり興味がなかった。クラブとダンススクールはお金がかかったし、いくらバイトしてもあんまりお金がなかった。そのまま就職で意図せず東京へ来ることになったわけだけど、東京都心部はなおさら車が必要なく、愛煙家は肩身が狭くなる一方という世の中の流れもあって煙草にも全く縁がなかった。

煙草は嗜好品だからおいておいて、車の免許についてはいつだって不思議がられた。わたしくらいの歳でも車を持っていない人は多いけど、車の免許を持っていない人は少ない。顔写真入りの身分証が必要な時こそ困ったが(基本的にパスポート)、車がなくて不便に思うようになったのは、アウトドアを始めてからだ。

170km先の自宅に“自走”で帰る

アウトドアを仕事にしていて車の運転ができないっつーのはやや問題ありかもしれない。10年くらいやってこれているから必須ではないけど驚かれることが多い。

「集合場所は〇〇、××時にお願いします!自走で来られますか?」
「いくらなんでも走るにはちょっと遠いし時間がかかるんですけど」
「あっ、すいません、車のことです」

奥多摩の丹羽山村での仕事のことだ。わたしはナチュラルに返信したつもりだったんだけど、うちから90kmある。走れなくはないかもしれないけど、冷静に考えて誰がそんな提案するねん。

山小屋の手伝いのあと、甲府からの帰りの経路をグーグルマップで検索したら、歩きのマークが最初に出て所要時間が1日とでた。だいたい100kmちょいだった。電車の経路を検索したかっただけなんだけど、日頃歩きや自転車のルート検索にグーグルマップを使っていると、それが優先表示される。

「あ~、100kmくらいか。走って帰るか」

国道20号線、甲州街道をずっと走れば東京に着く。車を持っていないランナーの人生の思考回路はヘンだ。もしかして車を持っていたらあほみたいに走ってなかったかもしれない。距離と時間換算のデフォルトが「足」で設定されている。文字のとおり、自走で東京まで帰った。それ、車で走る距離だから!と周りに言われた。

免許持っていて当然というようなニュアンスで聞かれることのほうが多い。なんなら、車も持っているでしょ、的な感じだ。神出鬼没とよく言われるくらいには放浪しているイメージがあるようで、それを全部「電車」か「バス」か「自転車」か「足」で移動しているとは思ってもみなかったと言われる。

必要に駆られて、ついに決心

免許を取ろうと決心した理由は、仕事だ。
アウトドアやスポーツ関係の仕事をしているとどうしても出張がつきもの。オンライン取材もなくはないが、現場にいかないとできないことも多い。コロナ禍で公共交通機関を使うことがあまり良しとされないなかで車は大事な移動手段。1人で乗るなら車の中では密もない。

また、今まで以上に「色んな能力」や「なんでもできる」ことが求められるようになった。受けられる仕事は多いほうがいいに決まっている。やらないことはあっていいけど、できないことを減らせるなら減らしたい。やりたいけど〇〇のせいでできないなら、そこを解決することで仕事の幅がうんと広がる。それに、そもそもフットワークの軽さは間違いなく重要で、公共交通機関の時間にしばられなくてすむ車がいよいよ必要になってきたのだ。いつも誰かに乗せてもらっているけれど、能動的に動けるようになればもっとできることが広がる。

なんで!?絶対あったほうがいいよ!便利だよ!といくら言われても取らなかった理由はある。ひとつは学生時代にタイミングを逃したまま社会人になったら時間が作れなくなった、お金がそこそこかかるなど。もうひとつは、高校時代から今に至るまでの人生で友人や知人の事故死が多かったということ。その度に自分が運転する自信を失っていった。だけど、人が運転する車には乗せてもらっていることにモヤモヤしていた。助手席人生37年。本当にこのままでいいんだろうか。

「慎重すぎるくらいのほうが、いいよ。慣れが危ないから車は」

取るならコロナ禍のうちだろう。厳しい父親に相談してみたら、父も仕事柄それは必要だろう、がんばれと背中を押してくれた。気が変わらないうちに自動車学校に飛び込み、その日に入学した。ゲーセンのシュミレーション系ゲームも遊園地のミニカーでさえも運転したことがない。ハンドルというものを握ったことがない。原付も乗ったことがない。そうやって40年弱生きてきたわたしに果たして運転ができるのか。

運転への不安ばかりを抱えていたが、アラフォーフリーランス独り身の免許取得は想像をはるかに上回るハードなチャレンジだった。

お金を払った数日後には枕に突っ伏して泣いていた。


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