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旅の記録 1908UK TRIP-故郷だなんて書いたけど、ほとんどはじめましての国だった

1日目で気付いたこと。わたしはイギリスのことも、ロンドンのことも、何も知らなかった!(笑)

なぜなら知っていることが限りなく少なかった。街を歩いていても、あーそうそう、あー、ここここ!みたいなこともない。旅にガイドブックを買ったりしないから、事前情報も特になく。トレンドどころか名所もたいして知らない。だから、驚きと感動と笑いと、そんなのばかりで目に入るものすべてが新しかった。

そうだ、異文化に触れるってこうでないと!
日本人の知っているロンドンってほんと米粒(麦粒?)くらいなんじゃないかな、なんて。わたしも含めてね。

幼いわたしが見たはずの景色はなんだったんだろう。大英博物館の前に立ったときに、わずかにフラッシュバックしたくらいで、わたしが確かに持っているはずの昔見た景色はどこにも見当たらないけど、それは時代が変えたものでもない気がする。それでもいい、もしかしたら自分のなかで絵本のように描いてしまっている現実だか架空だかわからない景色は大切にしまっておこう。

さて、そんなわけで“見たこともない街”ロンドン。とにもかくにも新鮮。わたしは山以外なら、城や遺跡、建築物が好きだ。ロンドンの街はとにかく街の建物や教会や美術館が美しくて、ただ歩いているだけでもうっとりする。大きな時計の色使い、壁の装飾、門のデザイン。わたしの好きなものがいっぱいある。どの国に行っても街を見ているのが楽しい。

それからファッションも好き。ロンドンっ子っていうのがどういうのかはわからないけどド派手な人はなんだか少ない。スーツ姿のおじさんもなんだか小粋に見える。でもお店が多すぎて、少しウィンドウショッピングをしてみたけれどほんの数時間ですっかり疲れてしまった。ほしいものはたくさんあるけれど、しいて言うなら、時間がたくさんほしい。

今日もちょっとしたイギリスにちなんだわたしのエピソードを。

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わたしの父はショーンコネリーになりたいと言っていた。なんだそれ、って思うかもしれないけれど父は結構欧風ダンディな雰囲気があるほうだと思う。わたしの瞳がカラコンみたいに明るい薄茶色なのは父親譲りだ。色素が薄くて、生まれた時は金髪だった。

わたしの父の父は、父よりもショーンコネリーみたいな顔だった。優しい笑顔にグレイッシュヘアが似合っていた。いまの父はちょっと祖父に似てきている。祖父は日本画家だった。写真も上手かった。わたしはおじいちゃんの旅のスケッチが好きだった。

父はわたしが幼い頃に大英博物館に連れていってくれた。ミイラがあったとか、なんとなく見たことのある絵があったとか、そういう感じなんだけど、今思えば英才教育だなと思う。わたしの父も祖父も、わたしにアートの世界を教えてくれた。幼少期のイギリスでの経験はそのきっかけだった。

それからわたしは、ホームズが好きだった。家や父の職場には天井まで届く壁いっぱいの本棚たくさんの本があって、読み放題だった。とくに探偵ものが好きで、ホームズはわたしの頭の体操だった。想像力と、ものごとの本質と、ちょっとのユーモアがあれば人生が豊かになることをホームズが教えてくれた。ホームズの家、というのがあったと思うんだけど今行っても面白いのかな。行ってみようかな。

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そんなこんなで、1日目は街を見て歩き(バスや電車に乗って、歩いて、その土地の“土地勘”を掴もうとするのが好き)、たまにカフェに入ってノマドして、アウトドアショップを回ったりした。アウトドアショップのことは、また改めて。

ロンドンの地下鉄、日本くらい難しい。そして電波通じない。だから乗ってる時に「あれっ、なんか違うとこ行ってる!」と思っても、どこで降りれば良いか調べられなくてなかなかリカバリーできない(笑)でも駅構内の表示や案内はわかりやすい。少しくらいは慣れたかも。あ、エスカレーターの待機列は右側だったよ。

通勤ラッシュの街は、自転車やパックを背負ったランナーがまるでレースのように次々と通り過ぎていく。自転車レーンは広くて走りやすい。わりとみんな本格的な格好をしているんだけど、オフィスで着替えるのかな?

東京も、このくらい自転車に乗りやすかったら、わたしももっと愛車を使ってあげられるんだけどな。帰ったら放ったらかしのあのこをメンテナンスしてあげよう。そんなことを考えながら、ロンドンブリッジの真ん中で夕焼けを眺める。

ひょんなことから、イギリス在住の日本人の方が食事に誘ってくださって、思いがけなく楽しい夜になった。週末の目的地が同じと知って、声をかけてもらえた。

“走る”という共通点だけで世界中繋がるんだな〜。

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