私の転校履歴3:MYPの一年と私の変化

  (istimes.netから上記引用:http://istimes.net/articles/667)

日本で高校1年の二学期末まで在籍し、年が明けて2018年の元旦の便で私はフィジーへ発った。フィジーの教育制度では年度初めが1月スタート。私は国際バカロレア課程に挑戦すると決めていたため、日本の高校1年にあたるYr.11(つまりMYPの最終年度)に編入することとした。

渡航後初年度をMYPの最後の1年に充てられたことが、結果的に自分の助走期間と重なり最高のタイミングであったと今は思う。この編入後一年の自分の葛藤についてまずは振り返りたい。

1.転入後一年の苦悩の日々
2.希望が見えたディプロマプログラム(DP)
3.自身の内面の変化と成長


1.転入後一年の苦悩の日々

   (istimes.netから上記引用:http://istimes.net/articles/667)

インターに転入してまず、自分の英語力の低下という事実に直面した。そして、かつては英語が喋れたにも関わらず、現在は能力が落ちているというジレンマから、それまでになかった劣等感が自分の中に沸き起こった。四年間の英語生活のブランクから、自分の英語力について自信喪失し、英語力の回復と劣等感の克服のために多大な努力と時間を費やした。

日本の学校で英語を自身の強みとしてきた自信は、脆くも崩れ去った。世界各国のインターには、英語を母国語としない学生のためのESLという英語補修クラスが存在するが、私は初めからネイティブクラスを受講していた。しかし、実際にIBを志すネイティブのレベルの高さを眼前にし、自分の語学力に対する確信を完全に失った。そんなショックを負いながら、必死で毎日授業に食らいついていった。自己肯定感が低下する環境に身を置きながら、それでもなんとか自信に繋がる成果を出そうともがくのは、精神的にかなり負荷のかかる行程である。しかし、その結果、MYPの成績表を受け取る際には、ほぼ7段階中5以上の成績を修めることができた。


2.希望が見えたディプロマプログラム(DP)

MYPの終盤に差し掛かった頃、IBの最終レベルであるディプロマ・プログラム(DP)に参加するにあたり、一度生徒は皆それまでのアカデミックな背景をゼロにして同じスタートラインに立つ、という説明があった。
これが、自分が重視してきた『積み重ね』を、一旦手放すことの価値について考える良い機会となった。

改めて振り返ってみると、自分には、インターの小学校出身という過去の経験と、それに付随する『自分はESLではない』という、無駄なプライドが存在していた。しかし、Yr.11のネイティブの中、そのプライドは、不甲斐ない状況に陥った自分を圧迫するだけの重荷になっていた。
努力が思うように形にならない葛藤は、すぐに担任の先生に伝わった(これが少人数制のインターのメリットのひとつである)。IBカウンセラーの先生にも個人的に相談する機会を得て、自分のそんな思いについても一旦リセットすることになった。

つまり、一旦、現実として自分の未熟さを受け入れ、目前に立ちはだかる状況の改善だけを目指そう、という姿勢に切り替えるに至ったのである。
プライドを捨て、自身に対するハードルを下げたことで、周囲とスムーズにコミュニケーションを取れるようになった。そして、必然的に英会話の量が増えたことで、かつての英語の感覚を取り戻すことができたのだった。
こうして自信を取り戻しつつ、先生からも認められる成績を修め、希望を持ってDPへと進級することができた。


3.自身の内面の変化と成長

IBは、仲間との協力や共同プロジェクトを重視するプログラムである。他者との関わりは必要不可欠なのだ。
日本の受験勉強を始めとして、これまでの学習履歴のなかで最も欠けていた視点であった。しかし、『他社との関わり』という意識を敢えて自己に課すことで、私はクラスメートに自ら協力を仰ぐことができるようになった。そして、結果的に、自分の非ネイティブとしての劣等感、および周囲からの非ネイティブとしてのイメージを払拭することに成功した。それが連動的に私の自信となり、当初はノートをとることにすら手間取った授業で、積極的に発言するまでに成長できたのである。

この経験から私は、自分の経験が役立つのはそれが実務的な役割を持つ時のみであるということ、『経験した』という経歴として機能している場合は、無益どころか逆に自分の成長の邪魔になるということを実感した。
プライドはときに、心理的障害となるのだ。

まずは自分の中で、プライドを形成する経験を故意的に無視し、一時的にでも過去を清算してみる。それによって、自分自身をプレッシャーから解放することが、現状適応の手段になると学んだのである。
それまで、プライドを設定することでそこに到達しようと一人で地道に鍛錬するタイプだった自分にとって、これは大きな変化であった。

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