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「分断ヲ手当スルト云フ事」に行って ー知ることから始まる一歩ー

2019年9月24日 。私は、堀潤さんの映像写真展「分断ヲ手当スルト云フ事」に行ってきました。

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手当て。手を当てること。それは、思想や立場を分かつもの同士の手を無理やり握らせることではない、と私は思っています。

となると、

「分断の手当て」って、どういうことだろう?

     そんな漠然とした疑問を抱いて、私はギャラリーに入りました。

ガザ、カンボジア、福島、平壌、沖縄、香港。     ふわっと知った気でいた地域や国のこと。               現実を写真を通して目の当たりにして、正直、言葉を失いました。

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手当ては尽力だけではない。人のふれあいや優しさや、支え合って生きていくことで、互いに手当てをしている。分断、という大きな闇の中でも。

私にはそんなメッセージが伝わってきました。権力がもたらした分断により、日常が破壊された人。権利を守る為に、分断と闘う人。望まざる分断の姿、そして、人と人が手を当て合う姿が、写真、映像からビシビシ伝わってきました。

(そんな中で思い出したエピソードがありました。私は、小学校の頃(30年程前です)女子サッカーを習っていたのですが、近くにある朝鮮学校の男子とよく練習試合をしていました。試合後は、仲よく話をしたり、キックのコツを教えてもらったりしました。そして、卒業前の最後の試合の後には、寄せ書きを交換しました。今もそんな交流が続いていればいいのにな、という楽しかった思い出です。)

話は戻ります。個展で流されていた大田元沖縄県知事と、ジャーナリストの、むのたけじさんのインタビュー映像では、はっとすることばがありました。

「意見が対峙している人と話すときも人間関係を信頼する」

大田元沖縄県知事のこの、ことば、が印象的でした。もし、分かつものが対立だったとしても、対立している双方(もしくは、中庸も含め)の主張や思想、訴えたいこと、を「知ろう」とする歩み寄りが、分断の「手当て」ということばに繋がっている様に感じました。   

「戦時中よりも人が人を粗末にしている」               「あなたはひとりの人。誇りを持って生きることです」

こちらは、むのたけじさんのインタビューの中で印象的なことばでした。

「人が人を粗末にしている。」

例えば、分断を生むことをまるで楽しんでいるかの様に、机上での上っ面の言葉の借り物競争が飛び交い、攻撃し合う場面を見かけるSNSでのやりとり。相手の顔を見る努力と度量がない様に見える感じ。互いを、自分を、粗末にし合うことから生まれる分断もある。ふと、そんなことが頭に浮かびました。

わたし、が、だれか、のみならず、わたし、を粗末にしている。私にとっては自戒にもなる、ことば、でもありました。

そして、誇りを持って生きること。安直な書き方になりますが、勇気が湧きました。

また、お2人のインタビューで、お話をされている姿をを見ていて、偉そうな言い方になりますが、「来し方道は人を写す鏡」なんだな、ということも感じました。

私が堀潤さんの個展を見て、心に1番強く刻まれたのは、

「知ること」からはじめよう!!

ということでした。分断、について考えたり、行動に移す為の第一歩。

堀潤さん、きっかけをありがとうございました。展示を見終わった後、感じたことなどをご本人とお話できたことも嬉しかったです。

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最後に、私が感じたこととして、堀潤さんの個展は、(言い方が適切ではないかもしれませんが)アンチに思っている方や、発信に麻痺している方、抵抗や怖さ、を感じている人が見に行ったら、違う角度から見えるものがあるんじゃないかな、と思いました。 

↓以下がリンクです。

http://hiroshige-gallery.com/exhibition/20190924/

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