脳と人間の定義

昔読んだ作品で、自殺した人の脳を回収して培養液に漬け電気信号を与えて生かす研究云々というのがありまして。
それなりに昔の話で、なおかつ創作なわけですけども。
 
それを読んだことを最近思い出して、死の定義とか人間が人間で
あるための定義なんかが変わってくる時代も来るかもしれないなって
ちょっと考えてしまいました。
 
映画ロボコップ2では、マシンに犯罪者の脳を積んで云々って展開
でしたけど、現代…これからの技術や倫理も含めブラッシュアップ
されると、どのような…

今の人間から想像できない、人間を超えた人間が創られるかも
知れませんよね。
 
人間が人間によって創られるという発想自体、とてつもない冒涜の
ような気もしますが、人間が生きていくには人間の存在が必要だとしたら
創られること自体必然な気もします。
 
敢えて調べずに書いているんですけど
(落書き以下の内容という逃げ道ですw)
脳死って脳が死んでいるけど心臓が生きている状態なんですよね。 
 
で、ですよ。
人間の脳の記憶とか経験、思考や思想要するに脳に収められている
情報を電気情報としてすべて取り出して(コピー?)して外部に保存する。 
 
人間の脳は死んでも、外部からコピーした脳内の情報を接続して
人間の身体に、脳と同等の機能を持った機構を設ければその人は
「生きた人間(脳死していない)」となるのかなって考えたんです。
 
そうなると現在では心臓のペースメーカーとか
人工心臓(こちらも補助的なもののようですが)が技術的に
もっと進歩したらまさしく人間は永遠に生きる
(もはや「生きる」の定義自体定義づけが不可能な所まで
 行きついてしまいそうですけど)
存在になってしまう未来がやがて来るかもしれませんね。
 
SF(サイエンスフィクション)ではなく
SF(すんげぇフューチャー)の世界ですね!
 
余談ですけど。
昔、人間が年を取らない
(身体に時間経過が無いから妊婦は妊婦のまま)
死なない世界が舞台の作品があって。

あの世界って人間がどうやって増えていたのかしら…
って思い出そうとしたけど思い出せませんでした。

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