2018年創作まとめ

今年も終わろうとしていますが、脈絡もなくnoteを始めてみました。

もともとTwitterに書き切れない散文は、はてなダイアリーのほうにごくまれに書いていたのですが、こちらの方がスタイリッシュで見やすいなあと思って気にはなっていました。
そんな折、Twitterに流れてきた#創作2018_19という創作まとめのハッシュタグでたくさんの方がブログの記事を貼っているのを見て「僕もやってみよう、どうせなら新しいところで」と思ったのが一応の経緯になります。

さて、自分は小説を書くことを趣味の一つにしていますが、多くの方のようにコンスタントに作品を形にできているわけではありません。
現在はカクヨムというサイトに短編をいくつか投稿しておりますが、2018年に投稿できたのはわずか2作品だけ。まだまだ初心者の域です。書きかけのものは5~6作ほどあるのですが結末まで筆を運ぶことはできておらず、「完成させる」ということの難しさを痛感するばかりです。

しかし創作について考えるところはそれなりにあり、今年積み重ねた努力も、来年の目標も、自分の中で曖昧にしておきたくない。
そういうわけで、このページでは今年自分なりにあがいた創作への取り組みを時系列でまとめておきたいと思います。Twitterでは「この人結局何をしてるんだろう」と思われている方も、この機会に僕のことを知ってもらえたら嬉しいです。

・1月~7月 

いきなり半年以上を一括りにしました。今年の前半は、昨年からちびちび書いていた長編の続きに取り組んでおりました。この作品は完成していないので多くを語れないのですが、この時点で自分が目指していた理想の作品像を詰め込んだものになる予定でした。

僕の理想の作品像とはなにか、と申しますと、ズバリ「非現実的な青春への郷愁」となるのだと思っています。公園のさび付いたブランコ、夕暮れの教室で鳴るチャイム、机にしまい込んだ書きかけの手紙、縁側の先の入道雲。そんなエモーショナルな記号をちりばめた舞台で、どこかミステリアスな少女との出会いとかSF的な世界観を描いていく。それらは現実には絶対に起こりえない物語で、でも僕たちが親しみ懐かしむ記号の先にあるからこそ、どうしようもなく憧れを刺激して心を揺さぶっていく。
具体的な作品名を挙げるなら「いたいのいたいの、とんでゆけ」(三秋縋、メディアワークス文庫) や「いなくなれ、群青」 (河野裕、新潮文庫NEX) のような物語をどうにかして書いてみたい。そんな気持ちで創作に向かっていました。


しかし当然ですが理想だけではオリジナルの作品は完成しません。それなりに頑張ってはみたのですが、どうしても上記の作品と展開が似てしまったり、オチと設定の辻褄があわなかったりと、困難が多くなってきて初の長編作品となるはずだったこの作品の執筆は中断することにしました。

一般的な創作論として言われるものに、「初心者のうちはとにかく完成させることが大事で、クオリティは二の次」というのがあります。英語でも"Done is better than perfect." (完璧を目指すよりまず終わらせろ) と似たようなことが言われており、ある程度の真理はあると思われます。

だから小説の場合でもこのルールに従って、僕は未熟でもとりあえず作品を結末まで持って行くべきなのかもしれません。しかし、長編小説は書くのに時間がかかります。自分のペースでは、完成まで一年、どんなに早くても半年。それだけの期間、理想に届かないとわかっている作品を書くのは自分には無理でした。
というわけで、次善の策を講じることにしました。作品づくりに厄介な「非現実性」をいったん除いて、ごくありふれた青春の王道作品を短編でいくつか書いてみる。
そうして文章力の向上と、自信をつけるのを目標に書き上げたのが次で述べる2作品になります。

・8月 (The last summer of xxxx)

折しも今年の夏は平成最後の夏。
だからってどうということもなかったのですが、「平成最後」というキーワードは創作をする人にとってさまざまな想像をかきたてる魅力的なものであったと思います。
平成最後の夏をテーマにしたこの作品は、
・短期間に仕上げること
・シンプルで美しい物語を描くこと
の二点を目標に書きました。
平成最後の夏、なんて掲げておきながら冬までかかってたら情けないですし、練習になりませんからね。また、実力が足りていない自分には、できるだけ複雑な要素を排したストーリーを完成させる経験が必要だなと感じて設定したのが二番目の目標になります。

結果から言えば、この作品はおおよそ十日程度で書き上げることができ、また自分としてもそこそこ手応えの感じる出来でありました。
停滞を抱えた主人公が病を患った少女とのひと夏の交流を通して、前に踏み出す勇気を得ていく。
書き出す前に描いたそんなイメージはそれなりに実現できたのではないかと思います。
実は最後にどんでん返しというほどでもない小さなオチを仕込んでいたのですが、これを思いついた時はテンションが上がりました。
実際に読んでくださった方からの評価も予想以上に良いもので、かなり達成感がありました。やはり創作は読み手/受け手がありきだな、と改めて感じました。
タイトルの"xxxx"ですが、これには複数の意味が込められています。6000字にも満たない短編ですが、まだ読まれていない方は目を通してくださるととても嬉しいです。

・9月~10月 ① (茜色の風)

「The last summer of xxxx」を書き上げたことで久々に物語を完成させる充実感を得ることができましたが、もう数作品は短編で頑張ってみようと思いました。
次に書き始めたのは、以前にワンフレーズだけ書いてみた作品とも言えないものの完成版。
この作品では、
・人間関係の変遷をテーマにする
・女の子目線のお話に挑戦してみる
ということを目標にしました。

自分の過去の作品ではどれも、「若干の非日常」をブースターに話を進めています。平凡な日常だけを舞台として物語を展開させるのは、それはそれで実力の要ることなのです。初心者は飛び道具に頼りがちになる。非現実性の排除にチャレンジしようとした「The last summer of xxxx」でさえ、結局はヒロインの病気という「ありきたりな非日常」に頼ってしまっており、SFやら特殊能力に比べればシンプルで面倒のない構図ではありながらも、日常の延長線上には存在しえないお話になってしまいました。
そこで今回は、より日常に密着したストーリーで読者の心を揺さぶれるような作品を目指しました。
自分の目指す作品には主人公の葛藤が必須な要素であると考えていますが、日常にありふれた葛藤の対象とは、すなわち人間関係。友達と些細なことでケンカしてしまったり、好きな人に想いを伝えられなかったり。そのほかにも親子や生徒と教師などなど、主人公を取り囲む人間関係には多様なものがあります。
こうした人間関係を緻密かつ鮮烈に描くことで物語を進めるのを得意とする作家さんはプロに多い気がしますが、その中でも自分は、朝井リョウの「星やどりの声」や「もういちど生まれて」を今年読んで衝撃を受けました。

「茜色の風」はまちがいなくこれらに影響を受けた作品であり、幼馴染という関係性をテーマにして不安定な思春期の心の動きを描ければという気持ちで書きました。また、こういった作品は必ずしも舞台装置がないわけではなく、あくまで日常の一要素を利用して、登場人物の心情変化とか、物語の未来を比喩的に読者に印象づけています。
タイトルにもなっている《茜色の風》はまさにこの手法を試してみた結果、作品に埋め込まれたものになります。

また、この作品は自分で初めて書いた女の子目線のお話です。これは単に自分の引き出しを増やしたいという気持ちでの挑戦だったのですが、おそらくこの話はいつも通りに男の子が主人公では成り立たない物語だったのではないかなと思っています。
これまでとは勝手が違うところもあり、違和感がない文章になっているかはやや自信がありませんが、読んでくださった方からは「(僕が) 実は女の子なのでは?」という感想も頂けていて (めっちゃ笑いました) きちんと女の子の気持ちに寄り添えているのかなと胸をなで下ろしました。
この作品でもやはりクライマックスから終盤にかけて物語を「まとめ上げる」難しさが身にしみましたが、自分が最初に書いたワンフレーズ (下記) をうまく組み込んで、すっきりとした終わりにできたのではないかと思っています。

 奥歯を噛み締めて、ペダルを漕ぐ。踏みしめる。右へ、左へ、右へ、左へ。乳酸が足に溜まってきて、だんだんと太ももが重くなる。知ったことか。
 進め、進め、ただ前へ進め。
 息は荒くなり、汗が噴き出る。流れた汗は雫となって、私の後ろに散ってゆく。
 それが私は心地よかった。自分の中の古くていらないなにもかもが、汗に溶けて流れてしまえばいいと思った。

今年完成させられたのはこれが最後になってしまいましたが、書いてみて個人的に得られたものが多かったです。
自分の目指す「非現実的な青春」からは少し違った作風ではありますが、こちらもまだの方はぜひ。

・9月~10月② (時任さんのラボノート)

実は「茜色の風」と並行して書いていた作品がありました。
これまた作風が完全に異なり、上の2作品とは違う目的で書いたものになります。

創作についての持論になってしまうのですが、小説を書くという行為は「自分の切り売り」だと考えています。すなわち、これまでの人生で培った経験、価値観、感じたことをテーマに物語を創る。物語に作者の経験は不可欠なものであり、作者の人生がそこに滲み出るからこそリアリティが生まれ、「伝わる」ストーリーになる。
村上春樹 (実は食わず嫌いしてきちんと読んでいない) のエッセイの中に「作家の仕事とは、経験していないことを『思い出す』ことだ」という一文がありました。これを読んでなるほどなと思った反面、僕らとは違う次元の話だとも感じました。

物語に経験が必須だとすれば、極論ノンフィクションやエッセイしか誰も書けないことになる。だからフィクションの構築に必要だけれど自分の中にはない「経験」を、あたかも思い出すがごとく、豊かな想像力によって補うことが作家の仕事である、と村上春樹は言っているのだと思います。
しかし、僕らは村上春樹ではないのでそこまで割り切ることはできない。
想像力には限界があるし、フィクションはフィクションでも、経験したことをテーマにした方が書きやすいに決まっている。
では、まだまだ未熟な自分が、経験に頼った創作をする上でいったいどんな引き出しがあるのだろうか、と考えたときに思い当たったのが「研究」でした。

自分はいま大学院生で、生物と化学のあいだみたいな領域の研究に携わっています。普段は実験やら発表準備やらのせいでろくに創作する時間がとれていないのですが、もしこちらで培った経験が創作に活かせるなら。
実際に、いわゆる「理系モノ」というのは一定の地位を得ていて、有名どころでいえば「探偵ガリレオ」シリーズ (東野圭吾、文藝春秋) なんかがあります。
 もっと若者が中心のお話ですと「ラブ・ケミストリー」(喜多喜久、宝島社文庫) や「異世界薬局」(高山理図、MFブックス) といった、作家さんの専門性を活かして書かれた作品はいくつかあり、研究に関する自分の知識と経験は使えるのではないかと思い当たった次第になります。

そういうわけで、理系モノと相性のよいミステリーでいこう、とミステリーなんて書いたこともないのに奮起して書いてみましたが、現在前編で止まってしまっております (汗)。
当たり前のことですが、専門性の高い話は読者がわかるようにかみ砕いて説明しなければなりません。冗長さを感じさせないでこれを達成するのはやっぱり難しいものだな、と書いてみてわかりました。
あと単純に、並行して書いていた話の方が面白くなってきてしまって、こちらも現在中断という形になってしまっています。

ただ、今のところ決めている「1話で1つの微生物をテーマにして、学名と熟語を並べたサブタイトルをつけてシリーズ化する (ex. Escherichia coliの叛逆)」というのは憧れとしてあるので、いつかは続きをきちんと書く心づもりでいます。ミステリーとか言ってまだ導入で止まっていますし。
あまりお見せしたい出来ではないのでリンクは貼りませんが、一応公開はしていますので上の2作品から辿って読むことはできます。

・11月~12月 (世界の終わりをきみに捧ぐ)

現在制作を進めているお話になります。
「The last summer of xxxx」と「茜色の風」を書いたあとで、やはりもっと渾身の、自分の趣味全開の作品を書きたいと思うようになりました。すなわち、もっと「非現実的な青春」を書きたい。

奇しくもそれは、「時任さんのラボノート」で自分が頼った経験では書けないもので、想像力を振り絞らなければ届かない領域にあります。今年の前半は、もしかしたらそういう部分に問題があったのかもしれません。

創作の起点になるような発想自体は割とすぐに出てくるほうで、お話の大まかな構成やクライマックスはすでに考えてあります。ただ、いつかどこかで出会った台詞にありました。「頭の中ではいつだって傑作なんだよ」全くその通りです。

練習の成果か、プロローグを含め初めのほうは自分が納得できるクオリティになっている実感があります。たぶん短編にすれば、そこそこいいものが出来る予感がある。
だからこそ、この作品を、一度諦めた長編作品に仕上げてみたくなってしまいました。
初めは短編でいくつもりだったので、「早く読みたい」とTwitterで言ってくださった方には申し訳ないのですが、自分の納得するまで今度はやってみたいと思います。

・2019年は何をしたいか

一応来年に向けた抱負ということで、まずは今書いている「世界の終わりをきみに捧ぐ」を完成させ、それが自分の納得のいく出来であれば、どこかの賞に応募したいと考えています。
リアルがいろいろ忙しい時期なのでどうなるかはわかりませんが、学生のうちには絶対に書き上げたい。

くわえて、短編もいくつか新しく書く、または手をつけているものを完成させたいです。ほかのアマチュア作家さんとあまり交流してこなかったのですが、アンソロジー企画なんてものもあるようなので、そういったイベントにも参加できるような年にしたいです。一次創作に限りますが・・・・・・。

ここまで見てくださっている方がどれだけいるかわかりませんが、改めて自己紹介をするなら、自分はよく言えば「夢に向かって努力している人」、悪く言えば「理想ばかり高い素人」ということになるのだと思います。
しかし好きこそものの上手なれという言葉がある通り、今は継続の段階だと思いますので、いつかあなたの心を動かせるような作品を書けることを願いつつ。
本年は筆を置かせていただきます。

それでは皆様、よいお年をお過ごしください。



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