闇を書き連ねる

人間は嫌いだ。いきなり物騒なことを書いてしまったが、本音だから仕方ない。レールから外れない人生を送ってきた読者であれば、まずもってこの時点で同意できないであろう。基本的に人間は尊いものらしい。何が尊いのかわからないが。まずもってその意味が分からないからその時点でムカつくし、視界に入れたいと思わなくなる。他に視界に入れたくないものと言えば、SNSで楽しそうにしている人、現実で彼氏彼女と手をつないでる奴ら、そうでなくても友達数人で歩きながら楽しそうに笑ってる同年代の奴ら、挙げればキリが無い。本当に世の中は見たくない、視界に入れたくないもので溢れている。しかしこれらを視界に入れないというのは不可能である。理論的には一生目を瞑り続けて生活するか、人里離れた山に住めば可能だが、そんなことは不可能である。他の人は知らないが、少なくとも僕は見たくないものが勝手に視界に入り続けてくる中、生きている。本当にシャットアウトしたい。別に消えろとまでは言わないが、少なくとも僕が見て得するものではまるでない。人間にとっての毒物とは、基本的に食べるか吸うか触れるかしないと感染しないものだが、僕にとっては視界に入れるだけで毒物となりえるものが本当にたくさんあるのである。この世界に溢れている。ありすぎだ。これ以上は要らない。なぜ見なければいけないのか。街に出歩けば人の姿が見えるのが当たり前。はぁそうですか。SNSを開けば多種多様な人が見えるのが当たり前。はぁ。そうですか。見せるだけなら何も悪いことじゃないもんね。こうして僕は、悪というわかりやすい矛先を見つけられないまま、これまでもこれからも苦しみ続けるのだろうなと思う。1人で勝手に苦しんでいる僕など誰も関心を持たないし、ほとんどの人間が僕のことを気持ち悪いとか、反社会勢力みたいな目で見てくるだろう。そして存在しないものとして扱ってくるだろう。現代の人間にとっての最強の武器とは無関心である。今の社会は表立って異質な人を攻撃して排除しようとすると問題になるので、無関心という分かりづらく曖昧な武器で排除を試みる。そしてその多くは成功する。僕もあちこちで排除されてきた。結局、法律やポリコレで取り締まろうが、人間の本性は何も変わらない。本当に気味の悪い事実ではあるし、だからこそ僕は「良い人ぶっている人」をうさんくさく感じてしまうのだろう。そういう人はほとんどの場合、たまたま「周りから見て標準に近いルックスや性格をしているように見える」だけなのに、それで変化球のマウントみたいな態度を取られても困る。そもそも人間は汚い存在が集まって人間なのだ。僕含めまともな人など1人としていない。性善説なんかで成り立っているビジネスなどあるのだろうか?ネットがなかった昔は少しはあったのかもしれないが、今はないだろう。「こんなことを書かれても、じゃあ一体どうすればいいのか?」と言いたくなる人もいるかもしれない。別にどうもしなくていい。僕が1人でバーッとまくし立てているだけで、別に他人に期待しようとは思ってない。人間はこれまで通り無関心という槍で刺しまくれば良いと思うし、勝手に良い人を気取れば良いと思うし、気持ち悪い存在を気持ち悪いまま押し潰しておけば良いと思う。どうでもいい。本当に希望が持てないね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?