僕がメンタリストDaigoを崇拝する暗い理由

※この記事はメンタリストDaigoの動画or著書を一度でも見た人向けに書いています。また、普段より過激でネガティブな表現が含まれているため、閲覧注意とします。

Daigoさんについて

僕はメンタリストDaigoを崇拝している。彼は徹底した合理主義者である。彼は基本的に人情という概念がないように見える。彼には友達がいる。気の合う友達だ。しかし、彼の動画をたくさん見て、彼のことを知っていくうちに、「もしかしたら彼は気の合う友達のことを、健康維持のための道具としか思っていないのではないか」と感じるようになった。彼はよく人間関係の重要性について科学的根拠をもとに説いている。「良い人間関係には非常に大きな健康的メリットがある」という風にだ。そんな話をするDaigoさんの姿からは、「メリットがない人間関係はガンガン捨てていい。人間関係はメリットが全てであり、人情は不要だ」という価値観が見え隠れするように気がする。(もし、これが事実無根の思い込みであるのなら僭越ながらDaigoさんへ謝罪させていただきたい。)
この考えには寒気がする人が大勢いるだろう。人情とかクサいことを言わないまでも、友達というものはプライスレスであり、物のように簡単に買ったり捨てたりして良いものではない、と考える人の方が圧倒的に多いかと思う。
僕もそっち側の人間だと思っていた。特に根拠はないのだが、自分には概ね一般的な感性が備わっているものだと思っていた。僕はその気になれば普通の人になれるし、たまに変な人のふりをするのも、それを見た人をおかしな気持ちにさせて笑顔にするためなんだと。
だが、Daigoさんのこの寒気がするような価値観を薄々察していくにつれても、Daigoさんは怖い人だ、とは全く思わない自分がいることに気づいた。Daigoさんは100万人以上のチャンネル登録者がいたはずだが、もちろん100万人の視聴者全員が、Daigoさんの考えに全て同意して視聴しているわけではないと思う。Daigoさんの生活保護受給者ヘイト炎上事件の当時、年来の視聴者たちが「もう見るのやめます」などとコメントし、コメント欄が大荒れしていたのをよく覚えている。僕もその時は「Daigoってクソだなー」と思っていた。しかし、今になって考えてみると、別に生活保護受給者と自分にほぼ接点はないし、接点ない人たちのためにメリットもなく義憤に駆られる必要はなかったんじゃないかと。何か、その当時のネットの空気に乗せられてしまったところがあったんだろうなと思う。
あの事件を機に、多くのスポンサーや、関係者がDaigoさんに圧力をかけた。最終的にDaigoさんは謝罪に追い込まれた。そして、世間はようやく「許すとまではいかないまでも、これ以上追及するのはやめておこう。Daigoもしばらく発言には気を付けるだろうし」という空気になり、騒動に終止符が打たれた。
そう思われていた。だが、最近のDaigoさんは、炎上時ほど過激な発言はしないようにしているものの、当時の反省を一部ひっくり返す発言をしている。そして、当時あちこちの関係者からの圧力を受けたことを受けて、Daigoさんは一段と独立性を高めた。スポンサーなどの依存関係が激減したようだ。もはやDaigoさんを止められる存在は、かなり少なくなっている。そんな印象を受ける。
もちろん、僕に生活保護受給者をヘイトするような思想があるわけではないし、Daigoさんの一連の炎上に加担し、応援するような意図があるわけでもない。僕自身も弱者側の人間だからだ。ただ、Daigoさんが「ほぼ何にも依存せず、好きなことをし、自由に発言して生きていける」という状態に、とてつもない憧れを感じている。
「人間は人の間と書いている通り、皆で助け合って生きるものだ。1人で生きていくことなんて決してできない。」一般的には、このように考えられているだろうし、それは事実だ。もっと究極的には、それはDaigoさんにも同じことがいえる。なぜなら、Daigoさん自身も公共のインフラなり、治安などに守られているところもあると思うからだ。
しかし、おそらく、Daigoさんが主張する独立性、そして僕がDaigoさんに憧れるポイントはそこではない。それの正体は、「目に見える依存関係、ミクロの依存関係がない状態」なのだと思う。
例えば、公共インフラは、税金から全ての日本人に等しく賄われているものであり、そこに個人の意思や感情は介在しない。逆に、「経済的に支援してくれる親」や、「スポンサー」「兄弟」などには意志や感情がある。それらは僕やDaigoさんが道を踏み外したと感じれば、怒ったり、圧力をかけたり、時には絶縁したりすることもあるのだ。
Daigoさんがなにゆえ、徹底的に独立性を高めているのかは知らないが、少なくとも僕自身は、依存関係に圧力を受けたり、関係を切られることが心の底から怖いし、時にはその恐怖によって、行動が制限されることもある。
僕にとっては、独立性がない人生は、人情という名の不安定なものに依存して生きる人生は、不幸そのものだと思う。
「助け合いなんてくそくらえ」「人情なんてくそくらえ」僕が人前でこのようなセリフを言えと誰かに言われたら、うっかり言ってしまいそうな気がする。

なぜこんなに心が冷たいのか

ここからは僕の個人的な話が多くなるので、物好きな方に読んでいただきたい。
これまで語った内容を受けて、冷徹で残酷なメンタリティだと思った人も少なくないかもしれない。実際そうだ。僕は冷徹な側面を多分に持ち合わせている人間なのだと思う。
僕がこのようなメンタリティを持つに至った理由は、生まれつきではなく後天的なものである。
僕とDaigoさんにはある共通点がある。学校でいじめを受けて育ったということだ。いじめというものは、ほとんどの人が想像するよりも大きな傷を本人に残す。僕もいまだに許せないことはあるし、30代後半のDaigoさんも、いじめを受けたことについて時々語っているのを見れば、それは間違いないのだと思う。
僕は保育園児~小学校低学年まで、住んでいたマンションの子供の集まりで数年以上にわたるほぼ毎日のいじめを受けた。また、父の機嫌が悪い時に、時々尻を強く叩かれたり、布団の上からのしかかられるなどのDVを受けた(そこまで高頻度ではなかった)。小学校低学年~小学校卒業までは、週末の野球クラブにて毎週いじめを受けた。母に何度辞めたいと訴えても、無視されたり怒られたのは、今思い出しても胃が沸騰してくる。中学校1年~2年のころは、教室でいじめを受けた。この時のいじめが特に激しく、僕は心を病み、引きこもるようになり、高校は通信でなんとか3年で卒業し、大学はメンタルや体力が持たず2年で中退した。そして、今は作業所に通ったり、時々バイトに挑戦してすぐ辞めるの繰り返しである。
このように繰り返し人間関係の裏切りや、圧倒的な悪意に触れ続けていると、まず血縁関係や恋愛関係にない「友達」という存在が疑わしくなってくる。これが、僕がここまで冷徹な性格になった大きな理由の一つなのである。
血縁関係も例外ではない。
僕は家族の中でも、姉(というか根本的には母)と大きな問題を抱えている。姉との関係は、数えきれないほどのトラブルの歴史だった。一番大きかったのは、大学進学のトラブルである。姉は女性で、弟の僕は男性だった。家は裕福ではなかったので、男性である僕が大学に進学することになった。姉はそのことを、長い間引きずっているようだ。姉からしてみれば、「一方的に大学進学の権利を貰っておきながら、一方的に中退した弟」という認識をするのも確かに無理はない。母も同じ認識なようで、今日に至るまで、母によって「姉の過去の一方的な不幸を埋め合わせる」という名目のもと、家庭内で多くの面で姉の優遇と僕の不遇政策が進められてきた。具体的な優遇内容はあまりにも個人的すぎるため割愛させていただくが、僕としては本当にうんざりするような差別だった。「嫌なら家から出ればいい」という意見もあるだろうし、それはある意味正しいと思う。母ともよくその争点で喧嘩になる。僕としてもこんなクズみたいな家をさっさと出ていきたい一心だが、やはり経済的な問題は避けては通れない。もし1人暮らしをするとなれば、僕は月7万円の障害年金と、1~2万の父からの支援(があることになっているが、あまり信用していない)で生活していかなければならないことになっている。両親には「私たちの時代にはそれくらいで生活できたのだから、お前にもできるはずだ」と言われているが、1人暮らしをしたことのある30代以下の読者ならこんな話がちゃんちゃらおかしいことはわかるはずなのだが、昭和と今では生活費も物価もまるで違うのに、「昭和にはできたのだからお前にもできるはずだ」という謎の方程式で僕を動かそうとするのだからハラスメント以外の何物でもない。とはいえ、僕もいい加減こんなクズみたいな家は許せないので、今年の梅雨の時期、つまり1年で一番不動産が安い時期に、ほぼ山に近いベッドタウンに住もうと思っている。たまたまその地域は、昔に不動産会社が需要を見誤って必要以上に物件を立ててしまったという事情で、家賃相場が法外に安いのだ。長くなってしまったが、いじめや家族トラブルで苦しんできた僕にとっては1人暮らしが、不要な人間との依存関係を断ち、Daigoさんに近づく第一歩となるのである。

Daigoさんの合理思考で最速で人生を立て直す

ある時、とある年来のDaigoさんの視聴者が、このような言葉を残して去っていった。「Daigoさんは確かに知識量もすごいし、合理性もあるが、人情味もなければ、教養もない。人生は効率やメリットが全てではない。Daigoさんは見ていて不快なので、失礼させていただきます」言っていることは100%正しいと思う。だが、僕も人生は効率やメリットが全てだと思っているので、Daigoさんについていきたいと思う。Daigoさんの生活に近づけば近づくほど、僕の人生からは苦しみが消えていくと思う。自分本位の生き方になれば、社会情勢やニュースに一々心を乱されずに済むようになる。人間関係を合理的に捉えられるようになれば、一々他人からの反応で苦しむこともなくなる。僕は別に合理的になりたくてなっているわけではないのだ。ただ、もう苦しみたくないだけなのだ。

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