ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック 8

1996年、NRBQ「イッツ・ア・ワイルド・ウィークエンド」

停滞をしていた『リズム&ペンシル』が、ふたたび動き出したのは1997年になって、ジョナサン・リッチマンの来日が決まってからだったと記憶してる。96年はまだ凪の年だ。

だけど、この年には忘れられないイベントがあった。4月に2日間だけ実現したNRBQの来日だ。90年代前半に存在を知り、気になって何枚かレコードを買ってはいたもののその全貌まではまだよくわかっていなかった。それはレコード屋さんも同様で、当時こんなエピソードがある。

よく通っていた高円寺のレコード屋さんで、店主から「NRBQ好きと言ってましたよね? これ、入りましたよ」と、あるレコードを見せてもらった。しかし、ジャケを見てもピンとこない。「かけましょうか」と店内で流してもらったが、朗々と低い声のアシッド・フォーク・ロックが続いた。

そのレコードは、シンガー・ソングライター、ディノ・ヴァレンテのアルバムだった。名前くらいしか知らないレア盤だったけど、はたしてこれがNRBQとどんな関係が? 首をかしげているぼくに向かって、あせったように店主は言った。「ほら、この人、ニュー・ライダーズ・オブ・パープル・セージに関わってたでしょ? 知りません? NROP……あれ? 違う?」

NRBQとNRPOS(そういう略があるのか知らないが)を勘違いされていたという話。当時で25年以上のキャリアがありながら、日本ではわずか2枚しかアルバムが発売されたことがなかったバンドについてのロック・ファンの認識は、大なり小なりそんなものだったかもしれない。

しかし、初来日公園は長門芳郎さんの尽力もあって多くの観客が集まり、大変に盛り上がった。彼らの演奏もパワフルで洒脱で、意表も突けばツボも突く、すばらしいものだった。興奮してしまったぼくらは2日目も当日券で見に行き、終了後も居残って、4人のメンバーに直撃をした(ジョナサン・リッチマンで覚えたわざだった)。彼らとジョナサンはおなじラウンダー・レコードに所属していたから、あわよくばコメントを引き出して使おうという話もしていたかも。ただし、その場の混沌と興奮もあって、じっさいに聞いた質問は「あなたにとっていちばんの音楽は?」。

ドラマーのトム・アルドリーノは、その質問に「(映画音楽家の)アレックス・ノース! (当時はその名前を知らず、けげんそうなぼくらを見て)知らない? じゃ、リトル・リチャードだ!」と答えてくれた。のちにぼくの友人にして生涯の師ともいえる存在になるトムと話したのは、このときが最初だった。

NRBQのすばらしさには『リズム&ペンシル』の3人とも打ちのめされた。その結果、棚上げになっていた創刊号をなんとかしないといけないという気分も生まれた。実作業こそしていなかったが、「特集:ジョナサン・リッチマン」で他の記事も共存するのではなく、雑誌一冊まるまるジョナサンというバラエティ・ブックにならないだろうかという方向も、この年に決まったと思う。

とはいうものの、ぼくは相変わらず日々の仕事に追われて疲弊していたし、一度切れかけたモチベーションを取り戻すのにはかなり苦労した。文章もぜんぜん書いていなかったので、リハビリ感覚でワープロ打ちした原稿で簡単なフリーパーパーを作ることにした。タイトルは『ロッキン&ロマンス』。A5サイズを二つ折りにして、さらにB5の紙を二つ折りした別冊子(書いた文章に登場するレコードやアーティストについての記述)を綴じ込んで。やりはじめたらそれなりに気持ちが乗ってきて、凝り性な性格も反映され、またしても小さい文字でミチミチのものになってしまった。

とりあえず1号ができたので、「松永良平」という名前は使わず、七ツ森やジェリージェフに置いてもらうことにした。しかし、それを偶然読んだ知り合いに、すぐに「松永くんだよね?」と見破られ、3号くらいから本名を記すようになった。結局、3ヶ月くらいで6号まで作った気がする。「人に読んでもらえるものが、まだ作れそう」というぼんやりとした手応えも感じつつあった。

そうそう、『ロッキン&ロマンス』はハイファイ・レコード・ストアにも置いてもらっていた。昔行ったことのあるハイファイはちょっとこわいイメージだったが、知り合いから「オーナーが変わって、店の雰囲気もすごくおだやかになったんですよ」と聞いていた。高田馬場の店に12インチを売りにきてくれていた男性が、ハイファイで働いている人だったと『モンド・ミュージック2』を読んで知り、打ち解けて話すようになったことも大きかった。

ハイファイに行くために渋谷の駅で降りるたびに、「いったいおれが高田馬場から抜け出せる日なんてくるんだろうか? 渋谷で働く日なんてくるんだろうか?」と感じていたことを思い出す。山手線で5駅先なだけなんだから笑い話みたいだが、それくらい渋谷と馬場の距離は遠く思えていた。

そんなことを思ってしまうのは、20代後半を迎えて、「もしかして、おれ、20代を無駄に過ごしてしまってるんじゃないか?』というあせりに駆られはじめたからでもある。音楽に触れたり、考えたりするのが好きだということは変わっていなかったけど、結局、なにがしたいのかも決められないまま日々に忙殺されていた。こそっとフリーペーパー作るのも楽しかったけど、たぶんこのままじゃダメなんだろう。そもそも、おれはレコード屋になりたいの? 雑誌作る人になりたいの? ライターになりたいの? それともなにかほかに目当てがあるの?

結局、96年は、自分のやる気とにらめっこしたまま過ぎていった。だけど、NRBQが吹かせた風が心に立てた波風には、ぼくらの目をすくなからず覚ます効力があった。頭のなかでは、ライヴの終盤、トムのドラム・スティックが勢い余って手を離れ、きれいな弧を描きながら客席に飛んでいったシーンがよくリピート再生されていた。こそっとフリーパーパーを出すのも楽しかったけど、次に自分がやるべきことはそれじゃない。あのスティックくらい、飛びたい。そんなことを思いながら、毎日西武新宿線に揺られていた。

たしか、あのスティックが飛んだ曲、2日目のアンコールの「イッツ・ア・ワイルド・ウィークエンド」だったよな。

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この連載が書籍化されます。2019年12月17日、晶文社より発売。


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