ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック/B面 30-27

1992年、トニー・コジネク「バッド・ガールズ」

92年の春、大学6年生になった。漫画のなかにしか出てこないと思っていたキャラ設定に自分がなってしまった。だが、漫画のなかなら居場所があるかもしれないが、現実のぼくは大学にはもう居場所はほとんどなかった。

3年生まで在籍したサークルでは、当時の1年生とはその後も比較的折り合いがよかったものの、彼らも就職活動で忙しい。ぼくはあと2年間ほぼフルで単位を取得しなければ8年生が確定。ご存じの通り、8年生より先は除籍しかない。

大学を卒業することは決めていたので、この年からマメに授業に出るようにした。この時期のバイトは珈琲亭七つ森で、それまでの朝番中心からすこし夜番を増やしてもらうようにしていった。

大学に出かけて、なおかつ午後にバイトがない日は、大学のそばにある「ジェリー・ジェフ」というお店にたむろするようになった。アメリカのシンガー・ソングライター、ジェリー・ジェフ・ウォーカーから名前を拝借した、いわゆるロック喫茶で、よく行くようになったのが90年代になったころから。最初は『少年ヘルプレス』のふたりで行くことが多かった。ジョン・サイモンやフィフス・アヴェニュー・バンドを、お店をひとりで切り盛りしているママさんにはじめて聴かせてもらったのは、この店でだったはず。

いまも渋谷にあるロック喫茶の名店BYGにも背伸びして行ってみたけど、BYGでは普通にあっけらかんとしたロックの名盤もかかる。ジェリー・ジェフでママさんが選ぶレコードは、もっと最初から渋かった。あとになって知ったが、ママさんはかつて渋谷にあったもうひとつの名ロック喫茶「ブラックホーク」で教えを乞うた流れの人だった。

ぼくらが生半可な知識でああでもないこうでもないとしゃべっていると、「そんならトニー・コジネクを聴いたらいいんじゃない?」と『バッド・ガール・ソング』を聴かせてくれる。おかげで20代前半のうちに、あのさびしがり屋な名盤を知ることができた。聴いて衝撃を受けたぼくは、中古で見つけたそのレコードを七ツ森でもよくかけた。やるせない時間や日々をずいぶんとあのレコードには救ってもらった。

そんなにレコードに詳しい女性がやってる店で(こういう店はたいてい一家言あるオヤジがやってるものだ)、渋いだけでなくしゃれた感じのレコードがかかっているのならさぞや繁盛していたのではないかと思われるかもしれない。だけど、いつ行ってもお店は閑散としていた。大学には音楽サークルは腐るほどあったはずだが、そういう人たちがいるわけでもなかった。簡単に言えば、当時はこういう音はまだ再評価されていなかったのだ。実感的に言うと、もう2年くらい後だったと思う。

日が暮れて、お客さんがまばらな状態だと、ママさんはたいていサラリーマンの常連さんを相手にウィスキーを飲みはじめた。そして、頼んでもいないのにカウンターに座るぼくにもついでに注いでくれる。もちろんお金は取らない。いま考えると、ぼくに帰ってほしくなかったんだろうな。へんな意味じゃなく、音楽のことを話す相手がいるとうれしそうだった。

その後、ぼくの仕事が高田馬場のレコード屋になったこともあり、大学を卒業してからもときどきは足を運んだ。そのころになると、ライヴ・イベントもやっていたかな。友達のバンドが出るので、見に行った記憶がある。そのバンド、名前は忘れてしまったけど、「レマン湖のほとりで」という謎のオリジナル曲があった。

21世紀になって、渋谷で働くようになったころ、ジェリー・ジェフが閉店したと聞いた。お店の何周年とかだったか、頼まれて冊子に文章を書いたことを覚えている。頼まれるくらいだから、たぶん、もうライターをやっていたのかな。

ママさんとは数年前に不思議な縁で再会をした。ぼくよりひと回り以上下の編集者から、ママさんが週一で高田馬場のスペインバルの一日店長をやっていて、今度その店でDJパーティーをやるから参加してほしいと依頼を受けたのだ。彼と彼の友人はジェリー・ジェフが閉まる前の何年間かに学生として通っていた、いわば最後の常連といえる存在で、ママさんからぼくのことを聞いていたという。彼らは例の冊子を読んで、ぼくがかつて店に入り浸っていたことを知ったらしかった。

そのバルにはDJ設備はないが、プレイヤーは彼らが持ち込むし、ママさんに頼んでミキサー類も用意してもらうということだった。ぼくもひさしぶりに会えるのはうれしいので、レコードを持って駆けつけた。

いざお店に着くと、こじんまりとだがお客さんも集まっていた。だが、主宰の彼らは音で苦戦していた。どうやらママさんが用意したのはDJ用のミキサーではなくライヴ用のミキサーで、プレイヤーから端子を繋いでもうまく音が出ないというのだ。「片方はまだマシなんですけど」と彼らは苦笑していた。

まあ、そんなことはどうでもよかった。鑑賞会したいわけじゃないんだから。とはいえ、レコードをかけてみると、たしかにに片方はAMラジオみたいにザラザラした音がしたし、懸案のもう片方は洞窟の奥で聴いてるような深いエコーで、サウンド全体にダブがかかっているみたいだった。

「これはこれで海賊放送みたいでいいんじゃない?」

ママさんも別にそんなことどうでもよさそうで、お酒を飲んでいる姿は昔とぜんぜん変わっていなかった。

その夜、ぼくは買ったばかりだったceroの「(I Found It) Back Beard」をかけた。ぐわんぐわんとダブ・エコーがかかっていて、まるで別の曲みたいだったけど、若い彼らは「これがceroですか!」と驚いていた。自分たちとおない年くらいのバンドだということにも興奮していた気がする。ということは、あれは2010年の話だったんだな。

トニー・コジネクも持っていけばよかったと思うけど、残念ながら無職時代にあのレコードは売り払ってしまっていた。いまなら買い直せないわけじゃないけど、一緒に思い出もくっついてくる気がして、簡単に買い直すのがいやなのだ。わかるかな。物理的に購入して家にあればいい、ということではないレコードなんだ、あれは。もっとむず痒くて、ヒリヒリして、聴きたいけど聴きたくないっていうやつなんだ。

でも、あの夜は「バッド・ガールズ」をかけたかったな。きっと思い出もずいぶんとダブワイズされて見えたはずだから。

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この連載が書籍化されます。2019年12月17日、晶文社より発売。


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