ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック 31

2019年、パパ・ウェンバ「ジュンシー」

はじめてニューヨークに来たのが1989年、すなわち平成元年。そしていま、平成が終わる日(日本時間で)に、ぼくはニューヨークにいる。図ってそうしたんじゃない。ぐうぜんが重なっただけのこと。だけど、そのぐうぜんはいろんな意味をぼくに問いかける。

ここ数年で、ニューヨークからだんだん見かけなくなってきたもののひとつにイエローキャブがある。かつてはタクシーでなければ車じゃないと言わんばかりに一般車を押しのけて我が物顔でクラクションを鳴らしまくっていたが、ここのところあのやかましい音もあんまり聴こえなくなっている。

ぼく自身もそうだが、UberやLyftといったサービスが浸透して、もはやタクシーに乗るのはめんどくさいことになっているのだろう。

はじめてニューヨークのJFK空港に降り立って、右も左もわからないまま、「黄色いタクシーはとりあえず安全」と聞いていた通りに乗り込んだ。いまよりはるかに拙かった自分の英語が通じるかどうかハラハラした。ところが、乗ったタクシーの運転手は強い訛りの残るインド人で、かなりカタコトな感じだった。ぼくも安心して「マンハッタンのXXホテルまで」と言ったら、「はー?」と聞き返された。通じてなかった。

それでもその運転手さんはとてもフレンドリーで、ブルックリンを抜けるあいだ、いろんな話をした。「この英語でいけるなら、おれだってなんとかなるだろ」と思えてきて、ずいぶん自信になった。英語がうまく話せないあのインド人運転手が、ある意味、ぼくの英語の臨時教師になって「下手でもいいからもっとどんどんしゃべれよ」と背中を押してくれたのだ。だから、イエローキャブにも感謝してる。

Uberの時代になっても、運転手と話す機会は多い。Uberに日本語で登録しているので、運転手には漢字で「良平」と通知される。それが話のきっかけになる。たいていは「日本人か? 中国人か? なんて読む?」みたいなこと。

昨日乗ったUberの運転手は黒人男性だった。「日本人か?」とおきまりの質問。そうだと答える。すると「おれも日本人なんだよ」とまさかの答えが返ってきた。

話を聞くと、彼の父親が日系二世で、父方の祖父にあたる人物は第二次大戦前に日本から移民した世代だったという。しかし、祖父は彼が生まれる前に亡くなり、父も若くして世を去った。父もすでに日本語がしゃべれない世代だったらしく、家のなかにも日本とのつながりを示す痕跡はあまりなかった。Uberアプリに記された彼の名前にも日本名らしきものはない。

「ああ、そこに書いてあるのはミドルネームだよ。本当のラストネームはイシバシっていう。友だちに聞いたけど、日本ではイシバシはずいぶん有名な名字らしいな。タイヤの会社があるだろ。ブリジストンって。その創業者がたしか、イシバシだったよな。おれとはなんの関係もないけど」そう言って彼は軽く笑った。

日本での仕事を聞かれたので、ライターでレコード屋もやっていて、いまはレコードの買付に来てると答えた。すると「そうか、おれのママも音楽好きなんだよ」という。さらに、「ママはアフリカのコンゴ出身なんだ。コンゴでいちばん有名なミュージシャンは知ってるかい? 残念ながらもう亡くなってしまったんだけど、パパ・ウェンバっていうんだ」と彼の言葉は続いた。まさかのパパ・ウェンバ! 思いがけない展開。

パパ・ウェンバは80年代に日本でもワールド・ミュージックとして積極的に紹介されていたので、ぼくも知っていると答えると、彼はとても喜んだ。日本で人気があったことも知っていた。「パパ・ウェンバは日本にもライヴに行っただろう? そのときに日本のミュージシャンとも交流して、何人かコンゴに来たはずさ」と、だんだん話がノリノリになってきた。単に母親の母国の英雄としての認識よりも、かなり詳しく知っている感じだ。

「じつは、おれの友だちがコンゴ出身の作曲家で、彼がおれの名前をつけた曲をパパ・ウェンバに提供したことがあるんだよ。そしたら本当に彼がその曲をレコーディングしてくれた。ママはカンカンだったけど」

「名誉な話なのにどうしてママは怒ったの?」と聞くと、「ミュージシャンの暮らしはロクなものじゃないだろ? 家族を大事にしないし、生活も乱れる。おれがそういうわるい仲間とつるむんじゃないかと思って、ママは心配したのさ」と彼はまた笑った。「まあ、いまはおれはこうしてカタギで暮らしてるんだけどね」

「あなたの半分が日本人で、コンゴ人でもあって、たまたまニューヨークでぼくが車に乗って、パパ・ウェンバの話で盛り上がってるなんて。インターネットのいたずらかもしれないけど、すごくスペシャルだね」と伝えたら、彼はすこし黙って、噛みしめるように「うん、すごくスペシャルだ。ありがとう」と答えた。

車はホテルに着いた。降りる前に彼に「あなたの名前のついたパパ・ウェンバの曲はYouTubeとかで聴けるの?」と聞いた。彼は「うーん」とうなっていたけど、ぼくがトランクから荷物を降ろしているあいだにメモに走り書きしてくれた。

PAPA WEMBA & NOUVELLE ECRITURE
"1st ALBUM"

「はっきり覚えてないんだけど、たぶん、そんなグループ名だった。聴いてくれたらうれしいよ。いつか日本にも行きたい。親父も行ったことがなかった故郷に」と彼は言い、車を走らせて去っていった。

ホテルの部屋に戻って、早速アルバムを検索した。どうやら彼の記憶はすこしあやふやで、正確には「Viva La Musica & Mzee Papa Wemba」がアーティスト表記で、アルバム名が『Nouvelle Ecriture』というらしい。1997年にCDのみで発売されている。

しかし、そこに彼の名前らしき曲名は見当たらない。『Nouvelle Ecriture』というタイトルがある作品は前後を調べてもこれしかないから、ここにあるはず。うそをついてるようには思えなかった。共作者がクレジットされている曲はいくつかあるが、そのうち名前っぽいのは6曲目の「Jeancy」だろうか。もしかして、彼が普段は隠しているラストネームがイシバシであるように、ファーストネームにも日本語の名前があるのかもしれない。「ジュンシ」とか「ジュンジ」とか。

とりあえず、その曲「Jeancy」を聴いてみた。MVもあって、ミドルテンポのアフロ・カリビアンふうで最高にノリがいい。「ジュンシー」「ジュンシー」と曲のなかでもちゃんと歌われていた。

なによりも、ぐうぜんuberで彼の車に乗り合わせていなければ、ぼくはこの曲を一生聴くことはなかっただろう。結局、ぼくにはそういうことがおもしろいし、そういう出会い方が好きだ。ぐうぜんと運命はいつだって紙一重で、ひとひねりでひっくり返る。まさか、この平成のソングブック連載の最後がパパ・ウェンバの曲になるなんて、昨日まで夢にも思っていなかったんだから。

* * * * * * *

というわけで、この連載はこれで終わり。最後に、だれにも聞かれなかったから別に言う必要もないけど、このタイトルにした理由を書いておく。本来なら「少年ヘルプレス・ソングブック」でも、「リズム&ペンシル・ソングブック」でもよかったんだけど、この30年を思い返してみたときに、結局、自分の足で歩いた(迷った)ことが自分を支えてきたという実感があった。

1999年、10年ぶりにニューヨークに来たとき、自分でも驚くくらい道路の構造やお店のあった場所をよく覚えていた(マンハッタンの下半分に限るが)。それは1989年に来たとき、毎日飽きるほど歩いたからだろう。おおきな道も知らない道もどんどん歩いた。歩いて覚えたことはたぶん忘れないというぼくの経験則は、たぶん、そのときに作られた。

そういう意味で、自分の足腰を支えているものが大事なんだなと、タイトルを考えているときに思い当たった。身体性ってやつか。だったら「筋肉」とか「アキレス腱」とかでもいいんじゃないかという話だが、そういうことだけではなくって。結局その足腰を守り、ときには飾ってくれるパンツや靴下や靴も、できればかっこよくしてたいよねという気持ちの問題。

もうひとつ言えば、自分のなかで鳴ってるメロディや、出てきた言葉だけで生きられるのなら、人はレコードなんか買わないし、本だって読まなくてもいい。でも、ぼくは過去や現在や未来からの影響なしではここまで生きられなかった。その呼び名が、カルチャーか、サブカルチャーか、なんてマジでどうでもいい。いいものもクソみたいなものもあって当然。だって、すべての文化はありとあらゆる時代や世界からの自分に対する余計なお世話だから。ぼくはそんな偉大なるおせっかいを真に受けて、翻弄もされてきた。だけど自分の足で立って歩いて、どうにかこうにか生き伸びてます、たぶんこれからも、ってことが言いたかった。

だから、パンツとソックスとシューズは大事。ぼくを支えてくれたものは大事。

おわり。

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この連載が書籍化されます。2019年12月17日、晶文社より発売。


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