小さな広告代理店

小さな広告代理店にいます。その傍ら、ボーカルスクールと選挙プランナーをしています。これ…

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小さな広告代理店にいます。その傍ら、ボーカルスクールと選挙プランナーをしています。これから会社を大きくする過程、日々の葛藤と愚痴を書いてますが、何か1つでも役に立つことがあれば。幸いです。

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最近の記事

「小さな会社と私」Vol.13

相変わらず、会社員として働いている。 新入社員は、3年程度で離職し、ベースメンバーの確定すらできていない。 新しく、4人入れたが、ここできちんとした ベースメンバー確定したい。 で、問題であったお金部分。。 全然解決していなくて。。 出てくる数字は、全てよくわからなくて、信用できなくなった。 取締役設置会社にするってことだったんだけど、 無理かもしれない。多分このまま進むのは、間違っていると、 心が言っている。

    • 10年の終わりとはじまり

      2012年6月25日で前職を退職してる。 そこから始めた道のりは、試行錯誤の上、どうにもならないと感じてから、月日が経ち、今年丸10年で終わりにしようと考えている。 前職退職した際に、激励のメールをいただいた2名には、何も恩返しできていないし、連絡すら取れていないが、自分の胸にはしっかりと残っていて、人生を生きる上での糧になっているのは間違いない。 この10年、皆さんに育てていただいたとしか言いようがなく、自分の力でどうにかなるような問題では無い。仕事は相手に対して「貢献

      • はしやすめ。

        ちょっと関係ないけど、最近の話。 携帯に、間違ってだと思うけど、 「お墓を案内してください。」とショートメール。 シカトしていたら、その後、1通、2通きて。 その後、なぜか、LINEにもメッセージが。 「たぶん人違いなので!」と送ってブロックした。 その後、下北沢の「笑円」で、マスターからお墓まいりに行った方がいい。って言われて。というか、言わされてる。って言ってたな。 今起きてることは、今、仕事やめようか、 ボーカルスクールもやめようか。 って話で。 オンラインで

        • 「小さな会社と私」Vol.12

          いつのまに「経営側」と「従業員」になったんだ? 日々変わりなく、意味不明な社長でみんなの無関心を捧げられているので、 ある意味影響力がないので、全体の仕事進行においては何の支障もないのだが、 我が時間という人生を投資している、会社となれば「怒り」も湧いてくる。 いかんせん「言っていること」と「やっていること」の同一性がないので、全く信用がないわけです。 別に批判をするつもりもないんだけど、「川島塾」に通い出し、京都、プノンペン、ロシアと、研修と言う名の旅行に行っている社

        「小さな会社と私」Vol.13

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        • 小さい会社と私
          11本

        記事

          「小さな会社と私」Vol.11

          「無関心の恐怖」 今までは、社長含め会社を盛り上げようとか、どうにかしようとか、いい方向に! と思っていろいろ考えてきたけど、うまく意思が通じなかったり、はぐらかされたり、話をそらされたり、意味不明だったり。 そんなのを経ていくと、自分の心は、すでに社長と一緒にという考えが消えてしまった。 そういうのが消えてしまうと、無関心になり、 怒りさえも覚えなくなってしまった。 通常の人間関係では、摩擦が減りいいことなのかもしれないが、 ここは学校ではないし、仕事なわけで。

          「小さな会社と私」Vol.11

          「小さな会社と私」Vol.10

          「お金と仕事と会社。」 お金って、なんなんだろうな。 仕事って、なんなんだろうな。 会社って、なんなんだろうな。 あまりにも今働いている人の価値観が異なりすぎていて、 全くまとまる様子がない。 (まとまる必要性があるのかないのか。それすら、私には解がない) 現状、社長と現場の感覚が乖離していて、とてもではないけど正常な状態ではないことは事実だ。だが、社長は関係修復に必死。 ある商業施設のオープン内覧会。意気込んで全社メール。そして空回り。 そりゃ、「社運がかかった内覧

          「小さな会社と私」Vol.10

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.9

          相も変わらずの日々が過ぎて行っている。 傍目から見て、会社は成長しているかどうか、全くわからないが、 おそらくしていないだろうことは、わかる。 本日、商業施設の飲食フロアの年間販促のプレゼンがあった。 今回、1つ上の先輩メインで、自分はというとなーんもしなかったが、 プレゼンには同席した。 もう何年も、その先輩のプレゼンテーションは聞いていない。 というか、他の営業のプレゼンテーションを聞くことは稀だ。 年間にあるか、ないか。「小さい会社」では、プレゼンチームは

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.9

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.8

          「丸4年たちましたけど?」 だいーぶ時が経ちましたが、独立して丸4年が経ちました。 ・・・・・・・・ 「2年を終えた頃、何も変わらずだった会社に変化がほしい。 そう思った私は、社長に社員を入れることをお願いした。 とりあえず、立ち上がり過ごしてきてまる2年。 目標もないし、立てない、決めない、進まない。ないないないない! という、現状を打破することも考えた自分なりの答えは「社員を入れる」だった。 ・・・・・・・・ で、社員入れて、入ったり出たりで、追加2名、合計7名

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.8

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.7

          「社員入れてください。」 2年を終えた頃、何も変わらずだった会社に変化がほしい。 そう思った私は、社長に社員を入れることをお願いした。 とりあえず、立ち上がり過ごしてきてまる2年。 目標もないし、立てない、決めない、進まない。ないないないない! という、現状を打破することも考えた自分なりの答えは「社員を入れる」だった。 お金周りも不透明だったため、入れれるもんなのか、無理なのか、よくわからなかったが、一人くらい大丈夫だろ。と思い提案した。 話は進み、とりあえず、地元の

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.7

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.6

          「うまく進まないモノゴト、むかつきますよね。」 無事、退職し新たなスタートが始まった。 朝の時間がとてもフレキシブルになった。通勤電車に乗らなくてもよい。 PC1台と電話があれば、仕事ができるので、いわゆるノマドになった。 ちょうど、ノマドで「安藤美冬」とか「高城剛」とか流行りだったので、ノマドに行き着いた人と、結果ノマドになった、俺たち。なんだかなーと思っていた。 1年目はただ生きるために、がむしゃらに、売り上げを伸ばしていった。 どんなことでも拾い上げ、全力でやり

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.6

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.5

          「話が逸れるがお金の話。」 個人的には意図があってなのだが、立ち上げたボーカルスクール。 上司の話だと、250万くらいあれば大丈夫だよ!「いけるいける!」と「やってるやってる!」くらいの勢いて言っていたのに。 不動産契約、防音室の設備費、インストラクターの給料、広告展開、備品周りなどなど、ソッコーで300万くらい無くなった。 自己資金200万足して、どーーーにかボーカルスクールは回り出した。 生徒0人から始め、インストラクター2名。 本当に何から、何までゼロからはじ

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.5

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.4

          「未来ってどんな味ですか?」 「糞食らえ!」と思って、行き止まりに居た私は 先輩の「独立しちゃおう。」の言葉で、 ベルリンの壁が崩壊して、自由になれる!と思っていた人々と同じように歓喜に満ちていた。 壊す事も大事だが、そこから先、努力し続ける事が非常に大切ということの考えが抜けていたことは言うまでもない。 しかし、準備は非常に早かった。 上司が個人的に行っていた有限会社を、株式会社に引き上げそこで活動すること。 早々に、太陽光の会社にも説明して、OKをもらった。

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.4

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.3

          私は怒りで、行き先ボードに「糞食らえ!」と落書きしていた。 併せて、眠いのに耳のそばで、「ブブゼラ」を鳴らされて起こされた日の 怒りをとうに超えて、今までにない怒りを覚えていた。 世代的には「クリリンのことかーーー!」とスーパーサイヤ人になる感じである。 4月に晴れて新規事業部、俺1人!になり、いきなりコンペ案件。 そして、採用!! そして、年間の業務委託契約! トントントトトーーーン!であるよ。 はたから見たら、「アメイジング!」のスタンディングオベーションのはず

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.3

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.2

          何事も突然起きるものだ。 前兆はあったのだと思うのだが。 希望退職のお知らせが発表された。しかも5人。 5人というのは、10人くらいの会社で発表されれば、それは名指しに近いものであった。 コンビニエンスストアから転職して入社した広告代理店での経歴は、 媒体部、営業企画、営業2部、営業1部と最初は媒体(テレビ、ラジオ、新聞、雑誌、OOH、交通など)担当で新人を過ごした。 最近話題の  もうすぐ絶滅するという、広告代理店の「テレビ局担当」の仕事について。 こんな感じのす

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.2

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.1

          「毎日が文化祭の前日のような仕事がしたい」 「なるべく、異なる仕事に触れたい(仕事の機会性が欲しい)」 と思いがあり、広告代理店の就職を目指した。 しかし、ヤンキーとバンドマン、HIPHOPPERしか居ない、レペゼン湘南のハイスクールに通っていて、高校3年にやっと「大学いかなキャ!」と思い立ち、英単語なんて2、3個知っている感じから、大学受験。 中堅大学に現役で入学したものの、特に何か意識があるわけでも無く、ただ4年間をすごしていた。 意識高い系が群がってエントリーシー

          「小さな会社と私」になるまで。Vol.1