「小さな会社と私」になるまで。Vol.4


「未来ってどんな味ですか?」

「糞食らえ!」と思って、行き止まりに居た私は

先輩の「独立しちゃおう。」の言葉で、

ベルリンの壁が崩壊して、自由になれる!と思っていた人々と同じように歓喜に満ちていた。

壊す事も大事だが、そこから先、努力し続ける事が非常に大切ということの考えが抜けていたことは言うまでもない。


しかし、準備は非常に早かった。
上司が個人的に行っていた有限会社を、株式会社に引き上げそこで活動すること。

早々に、太陽光の会社にも説明して、OKをもらった。
(素晴らしい会社だ!)

その他クライアントにも説明をして、OKをもらって行った。


早期退職の退職金の交渉も腹立たしかったが、ただ、ただ、前しか見えなかった。

私の周りの状況は、世間一般的には最悪な状態だった。

自宅を買い住宅ローン借りたて、3,000万程度借りていた。2ヶ月後には長女が生まれるタイミングであった。これだけでもお金の不安ったらない。

さらに、上司が行っていた、「ボーカルスクール」のノウハウを提供してもらい、自分がオーナーの「ボーカルスクール」を立ち上げた。

上司の話だと、250万くらいあれば大丈夫だよ!「いけるいける!」と「やってるやってる!」くらいの勢いて言っていたのに。

不動産契約、防音室の設備費、インストラクターの給料、広告展開、備品周りなどなど、ソッコーで300万くらい無くなった。

基本、テキトーな上司だったが、ここまでテキトーだったのか。いわゆる今の小さな会社の社長なのだが、この人を信じられなくなったのはこのころかもしれない。

このスクール事業に至っては、本当に厳しい思い出しかない。もちろんたくさん手助けをしてくださって、今があるのはよく分かるが、それとこれとは別の話にしたいくらいだ。

もろもろ、自分なりに将来を見据えての事だったが。

しかし、まわりのみんなは、「お前大丈夫か?」「将来を考えているのか?」と言われましたが、反論する事もできませんでした。

ただその時は、前を向いて走るしかない。
立ち止まると、バランスを崩して倒れそうだったから、倒れないように、足を進めるしかなかった。

ただ進み続けた。

「今思うと、この選択が正しいと思えるように、正しい努力をしなくてはならないと思っていたに違いない。」今もそれは変わらない。

開業準備と、退職準備を並行して行い、晴れて退職の日。

会社では送別会など開いてもらえなかった。
代わりに、みんなで船出を祝った。

最後に行ったのは、鳥竹

酔っ払ってあんまり覚えていないが、飲んだレモンサワーは、「未来の味がしたに違いない」

[4]終わり。とりあえず。


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