期待値の設定
願望というか、他人への期待って親しい間柄なら尚のことあると思う。
僕は20歳くらいから人へ、家族へ期待をするのをやめた。
原因は当時、恋人が出来たから。
大学二年そこそこで適当な人生で人とコミュニケーションを取ることが増えて、なんとなく異性との関係もギクシャクしなくなっていった。
そうなると過信してしまう。
もっとこうじゃないか
あの時あぁすればよかった
もっと出来たはずなのに
出来ないと言うことはまだまだなのである。
36歳にしてようやく20歳の自分に諭す。
それからも恋人ができても期待はしないようにしていた。
デートの時に
お茶している時に
誕生日に
特別な日に
など。
期待するって言うことはある種の欲なのである。
自分が相手に対してこうあって欲しい、こうして欲しい。などと明確な事ではなくとも思い描いた理想を勝手に相手に押し付けている。
言葉にしなくても、それは自分の心の中にあり、いざ目の前でそれが起きなかったら、がっかりする。
期待値というのはビル高さのようなもので、上を見たらキリがない。
ただその高さから落ちるときは凄まじい勢いで落ち、心が痛い
欲望による代償。
何かを得るということは、何かを犠牲にしているということ。
例えば、
理想の腕時計100万円
お金を貯めて買うと、やはり満足感にはなるが、時間とお金、労力を犠牲にする。
ただ面白いのが時間はお金で買えるということ。
大阪まで車で高速を使い自分で運転をして行くルートより、新幹線で行くルートの方が早い。
お金はかかるが、それはお金を買っているという事。
外食もそのいい例。
自分が作る時間より早く提供される料理、それを代金を支払い食べる。
時間を買っているという事。
だからこそそこで働いている人へ敬意というのは忘れてはいけない。
もちろん目標があり、そこに進むということは素晴らしい。
どんなことでも。
自分でやるということもいいと思う。
時間をかけて経験することもあるのでね。
ただし、人を傷つけること以外は。
話はちょっと逸れてしまったので元に戻る。
僕はもしかしたらその期待という行為が相手を勝手に傷つけてしまってはいないか、なんて考える事がある。
Gal Gadotさん主演の『Wonder Woman 1984』を観て、さらに明確な言葉に仕上げられた。
日本の御涙頂戴映画よりも考える事が、視点が変わるからハリウッド映画は面白い。
WW一作目観てないのに観てしまったのは痛恨。。。
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