日本のITは何故弱いか

 『あるソフトウェア工学者の失敗 日本のITは何故弱いか(2015年 林晋 京都大学文学研究科)
を読んで思ったことを書きます。

 いやあ、書かれている大半は私には理解不能でありました。その上で、理解可能(と思っているだけかも)なところをつなぎ合わせて、この文章を書きます。だから、この文章は著者の言いたいこととズレているかも知れません。でも、まあ、何かしら得るものはあると思うので、どうぞ付き合ってお読みください。

 引用したい部分を簡単にまとめると、

・日本は、世界の中で、自動車産業に比べると、ソフトウェア産業が弱い。
・このまま行けば、ITの能力が産業の競争力となってしまうソフトウェアの時代において、「ソフトウェアに弱い日本」は、「科学技術、産業に弱い日本」を意味することになってしまう。

・そんな中、学生達をスキルアップしても、学生が社会に出ると、そこで無理解に会う、教え子などは人気の企業に就職したのに、会社を辞めようかと思い詰めている。
・教えたことと社会の現状との乖離が、むしろ、学生のストレスに繋がっている。
・幾ら人材を育成しても、社会がそれを受け入れないのでは、その人たちを傷つけてしまうだけだ。

・日本のITの問題を、人材を生み出す人材育成の問題だと誤解していた。これは、人材の受け手の側の問題である。

 つまり、日本は、これからのソフトウェアの時代において、いくら教育をしようとも、受け手が、その人材を活かせていない(むしろ つぶしている)と言っているのです。

 さらに引用です。

はこだて未来大学での取材と、このスタンフォードでの取材から、次のような結論を引き出した。
「パロアルトで多くの優れたIT人材が育っているのは、Xerox PARCや、スタンフォード大学のような優秀な人材が集まる拠点が存在するという箱もの的な側面もあるが、何より重要なのは、広く根付いている失敗を恐れない文化だ。しかし、そういう文化的なものは、明治維新後の開化運動のように大規模かつ徹底的に行わねば成功しない。たとえ特区のような特定地域で実現したとしても、そこで育った人材は、その外に出た途端、水をかけて火を消そう、それにより現在の自分の世界を守ろうとする日本社会に撃ち落とされてしまう」

 優れたIT人材を育てるには、「失敗を怖れない文化」が必要だそうです。
 ですが、これは、エニアグラムのタイプ6日本人のもっとも苦手とすることです。

 日本はエニアグラムのタイプ6文化だと言われています。
 そして、タイプ6は安心・安全・安定がとても大事な性格タイプです。
 ですから、安心・安全・安定が崩れる「失敗」をタイプ6は大変怖がります。

 そして、タイプ6は、「一択」が好きです。「いくつかの選択肢(可能性)」すら嫌いなのに「失敗があるかもしれない選択肢(失敗の可能性)」などもってのほかです。

 そんなタイプ6日本社会にとっての理想は、「成功した先行事例のある、たった一つの答え」です。これは、「(優れたIT人材を育てる)失敗を怖れない文化」とは真逆なものです。

ヴィノグラード氏とのインタビューから私が学んだことは、グーグル検索の様な優れたソフトウェアやサービスを生み出すのは、社会や文化なのである。それが持つ「精神」なのである。そして、ITは、装置の時代から、社会の時代に実際に突入したのである。

 タイプ6日本人は、減点思考で、「失敗を怖れます」。
 ですから、「優れたソフトウェアやサービスを生み出すのは、社会や文化」と言われても、「社会」や「文化」や「精神」を持ってくるときに、タイプ6日本人は抵抗します。

日本社会という安定・安穏に寄りかかりたいという傾向を強く持つ社会が、現代の様に満ち足りた状態に置かれていれば、新しいものを拒否しようとするのは当然である。

 ここでの問題は、単に「新しいもの」というだけでなく、その「精神」が「失敗を怖れない」精神なので、抵抗に合うということです。
 これは、「失敗を怖れない」行動を許容すると、タイプ6の一番大切な安心・安全・安定が揺らいでくるからです。

これに対して、パロアルトが象徴するアメリカのある部分は、如何に豊かであろうとも、常にイノベーション・革新を求めて、先に先にと進もうとする。よしんば、世界中の富の大半を手中に収めていても、もし富をさらに拡大できるのならば前に進む。前に進むこと、努力すること、変わることが善だ、今可能なのに、それをしないことは怠慢であり罪悪だ、そういう 彼らの倫理観・道徳観が、そうさせるのであり、金銭欲がそうさせるのではない。
日本のITの問題は、実は技術の問題ではなく、文化・社会の問題だったのである。

 これを読んで、思ったのは、

アクティブラーニングや、C領域を強化する教育を行なっても、
社会との間で乖離が起きて、学生達が「日本社会に撃ち落とされてしまう」のではないか?

ということです。

 タイプ6日本人は、安心・安全・安定が好きです。だから、絶対的な正解を求めます。
 例えば、今まで、日本で科学が信頼されてきたのは、絶対的な正解を提供してきたからです。
 タイプ6日本人自身は、「試行錯誤」とか「失敗」とかは、受け入れられません。
 たった一つの、絶対的な正解だけ求めているのです。

 また、安心・安全・安定が好きなので、今あることを変えることは、安心・安全・安定が揺らぐことなので、これに対しても抵抗します。
 今あることを変える場合は、安心・安全・安定が保証される必要があります。そして、絶対正しい道筋をひとつだけ提示してもらいたいと思っています。

 つまり、本当に、「日本のITの問題は、実は技術の問題ではなく、文化・社会の問題」だとすれば、道は険しいと言うことです。

参考
農耕民族なタイプ6の性格が日本の高度成長期を支えました(そして、今は・・・)
『グーグル会長が語った「価値を生み企業を成長させる人材のたった2つの資質」とは』を読んで
日本の「起業したくない」話
ネガティブ、ポジティブ、日米の違い

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