ちょっとだけ気になる「~された」という言葉

ネットを通してでも発信してはいただけないでしょうか?

「実は、私も・・」で連鎖していくことを願います。今なら(共犯では無く)被害者として振る舞えるかもです。

と私自身が発言しているので、
本当なら、事実が分かって喜んでもいいはずなのに、
『森友学園:国有地売却問題 「ごみ報告書は虚偽」 業者証言「書かされた」 大阪地検捜査 (毎日新聞)』
なんて記事の
「書かされた」
という言葉を見ると、

「あなたは、本当に被害者なのですか?」と問いたくなってくる。そうした矛盾した私がいます。

でも、とにかく今は、「よくぞ、言ってくれました」と言わなくては・・。


最後に
「~された」
のつながりで、以前にも紹介した伊丹万作の文章を載せて終わりたいと思います。

http://www.aozora.gr.jp/cards/000231/files/43873_23111.html

 さて、多くの人が、今度の戦争(=第二次世界大戦)でだまされていたという。みながみな口を揃えてだまされていたという。私の知つている範囲ではおれがだましたのだといつた人間はまだ一人もいない。

 だまされたということは、不正者による被害を意味するが、しかしだまされたものは正しいとは、古来いかなる辞書にも決して書いてはないのである。だまされたとさえいえば、一切の責任から解放され、無条件で正義派になれるように勘ちがいしている人は、もう一度よく顔を洗い直さなければならぬ。

 しかも、だまされたもの必ずしも正しくないことを指摘するだけにとどまらず、私はさらに進んで、「だまされるということ自体がすでに一つの悪である」ことを主張したいのである。

 そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。

「だまされていた」という一語の持つ便利な効果におぼれて、一切の責任から解放された気でいる多くの人々の安易きわまる態度を見るとき、私は日本国民の将来に対して暗澹たる不安を感ぜざるを得ない。

「だまされていた」といつて平気でいられる国民なら、おそらく今後も何度でもだまされるだろう。いや、現在でもすでに別のうそによつてだまされ始めているにちがいないのである。

「文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体」
・・・これってハンナ・アーレントの言うところの『凡庸な悪』のことでは。


※ 伊丹万作(いたみ まんさく、1900年1月2日 - 1946年9月21日)は、日本の映画監督、脚本家、俳優、エッセイスト、挿絵画家。長男は伊丹十三。
※ 伊丹十三(いたみ じゅうぞう、1933年5月15日 - 1997年12月20日)は、日本の映画監督(マルサの女 など)、俳優。
※ ハンナ・アーレント(Hannah Arendt、1906年10月14日 - 1975年12月4日)は、ドイツ出身の哲学者、思想家。「悪は悪人が作り出すのではなく、思考停止の凡人が作る」という発言がある。

参考
タイプ6国民、日本人の思考停止

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