共感と同感が違うものだなんて知らなかった

今日、カウンセリングに関する本を読んでいて、「共感」と「同感」が別物であることを初めて知った。しかし辞書を引くと、「共感:他人の考え・主張に、全くそうだと感ずること。その気持。同感。」と、類義語として書かれている。やっぱり言葉の意味としては同じということだ。

だから正確には、「カウンセリングにおいて共感と同感は分けて考えられている」と言うべきだろう。さらに言い換えるなら、「一般的な意味での共感(同感)とは別の概念がカウンセリングにはある」のだ。

「同感」は「相手と同じ感情になること」

さて、カウンセリングでは共感と同感という2つの言葉をどう区別しているかというと、まず一般的な意味での共感は、同感に当てはまる。

同感することは、読んで字のごとく、「相手と同じ感情になること」を指す。

相手の話に対して、「それはひどい!」と憤ったり、「そんなことがあったんだ……」と辛くなったりするのは、同感だ。

「共感」は「相手の感情の理由を理解すること」

それに対して、カウンセリングにおける共感とは、「相手がその感情になった理由を理解すること」らしい。

相手の話に対して、「そんなことがあったから怒っているんだね」とか、「それが理由で泣いているんだね」と理解を示すことを共感と言う。


話を読んで、視界が開ける感覚があった。

共感しなくていい、というnoteを先日書いたのだけれど、そのとき言いたかったのがまさにこれだ。

そもそも人は、本当の意味で同感することはできない。感情の正確な形なんて誰も知らないし、自分と相手の感情が果たして同じ状態であるかなんて、確かめようがないからだ。

そして感情というものはどうしようもなく個人に紐付いているから、好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いである。

だから、話を聞いて「私もそれが好き」と言い続けるのはとても無理があるし、かといって「私はそれが嫌い」と自分の気持ちをただ伝えたのではあまりにお粗末だ。

もちろん、自分の気持ちを伝えることそのものが悪いわけじゃない。ただ、「私はそれが好き」と言っているのに、いきなり「私はそれが嫌い」と言われた相手はどう思うだろうか。

キャッチボールをしようと思ってボールを投げたら、こちらのボールを受け取らずに別のボールを投げてくるようなものだ。そんな人とキャッチボールをしようとは思わない。

だからまずは、「私はそれが好き」という相手のボールを受け取ることが大切だ。そして、受け取ったことを伝える必要がある。自分は受け取ったつもりでも、それが相手に伝わらなければ、受け取っていないのと同じだ。

そのために、「私はそれが嫌い」の前に、「なぜそれが好きなの?」を聞けるといいと思う。

そうして、「そうか、だからあなたはそれが好きなんだね」と共感することができれば、あなたの「それが嫌い」に対しても、「なぜ嫌いなの?」と聞いてくれるんじゃないだろうか。お互いに共感し合えれば、どんな話でもできるようになる。

これから、もっと意識して共感していきたいと思う。

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