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聞きたくない言葉からは耳を塞いでいい

心の平穏が、今朝唐突に失われた。

なんのことはない、イヤホンが壊れたのだ。

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私は通勤の際に、イヤホンを通していろいろな音を聞く。

お気に入りの曲だったり、英語学習用のpodcastだったり、はたまた自分の弾き語りを録音した音源を確認することもある。

通勤時間はおよそ40分。毎朝ミニアルバム1枚分くらいの音を聞けると考えると、これは馬鹿にならない。

聞き流してしまってはあまり意味がないからと、聞くときはそれなりに音に集中することを心がけている。他の作業はなるべくしない。

イヤホンにこだわったりするほどではないけど。あくまでもそれなりに。

音を聞いていると、満員電車の中でもひとりになれる。

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ところが今朝急にイヤホンが壊れて、ずっと耳を塞いでいたんだと実感した。それがとても心地よかったのだということも。

落ち着かない。あまりに落ち着かなかったので、壊れたイヤホンを耳にはめた。すると、音は聞こえないけれど意外と落ち着くことに気がついた。

試しにあらためてイヤホンを外してみる。やっぱり落ち着かなくて、心が波立つのを感じた。

私は聞きたい音を聞いていたのではなく、聞きたくない音から耳を塞いでいたのだ。


そう実感すると共に、耳を塞ぐ、ってなんだか拒絶してるみたいであまりいい言葉ではないなと思った。

でも、だからなんだ、という話である。別に通勤ラッシュの雑踏なんて聞くべき音でもあるまいし、聞きたくなければ耳を塞いでいればいい。

これは、雑踏に限らずなんにでも言えること。自分にとって都合の悪い言葉を無理に聞く必要はない。

見ざる聞かざる言わざる、とも言うじゃないか。ちょっと意味を履き違えてるけど。

ともかく私は、心の平穏のために明日からも耳を塞ぎ続ける。

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とかなんとか言いつつ、たまたま提出された合同マガジンの原稿に目を通し始めたら、イヤホンが使えなくなった事実を5分で忘れて普通に文章を読むことを楽しんでた。

我ながらずいぶん単純だけど、だからこそ好き勝手生きてられるんだと思う。

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